2017年2月6日、その日のお昼を食べ始めた時に、それは突然やってきた。
僕は友人Aと、お昼を食べるために某うどん専門店に立ち寄り、席についてうどんを食べた。その瞬間、何かお腹に変な違和感を覚えた。その時は、
「よくあるいつものお腹痛くなるやつか
」
と思っただけで、特に気にしてはいなかった。だが、いつもなら少し経てば収まる痛みが、食べ終わっても全然収まらないのである。慌ててトイレに駆け込むも、何も変化はなし。仕方なく痛みを携えたまま、お店を去った。
僕はこの日の午後、学校の同級生たちによる高校生バンドのライブというものがあり、同じバンドの友人Aは、
「きっと緊張してるんだな笑」
と言った。だが僕はそういうものにあまり緊張しないタイプであり、内心では絶対違うと思っていた。
ライブ会場に到着し、準備などをしている時もずっと痛みが収まらず、ひたすら座って痛みを我慢していた。皆がたくさん心配してくれて嬉しかったけど痛みは変わらず…。ここまで収まらないのはさすがにおかしいと思った。
そしてリハーサル、お腹が痛くて力が入らず歌うのもかなりきつい状態。ここではさすがに省エネして本番までしっかりと休むことにした。
そしてライブ開演。自分たちの番までは他のバンドもあまり見ずに控え室で休んでいた。
本番までには収まるだろとタカをくくっていたが、結局痛みは全然変わらずに自分たちの番を迎える。僕は backnumber の 高嶺の花子さん などのボーカル曲を4曲とMCを担当しており、ほとんどの時間声を発する役割であった。それによりお腹は常に痛く、また盛り上げるための動きなども必要だったので最後の力を振り絞り、なんとか自分たちのライブをいい感じに終わらせることができた。ここでお腹痛いからなどと言ってメンバーに迷惑をかけるわけにはいかなかったので、成功
したこと自体はとても嬉しかった。
その後、僕はライブの司会も担当しており、それもなんとかこなした(演奏中は端っこで座って休んではいたが)。
そして無事に、ライブはすべて終了。みんな盛り上がっており、お菓子などを食べていたが、僕はまったくそんな気にはなれなかった。なんとか頑張って置いてあったお菓子
を食べた感想としては、
「美味しいのに…吐きそう。」
この後ライブの打ち上げの予定があり、とても行きたかったが自分の体調を考え、一人で帰ることにした。
駅まで歩いている途中で家族に、もう夜だから夜間診療所に連れて行ってくれと連絡し、電車で最寄りの駅まで帰った。その電車内では吐き気と腹痛で泣きそうだった。
そして家族に夜間診療所に連れて行ってもらい血液検査などの診察を受けると、胃腸炎と診断された。ここでは盲腸ではなくてよかったという安堵の気持ちがあったが、腸閉塞(イレウス)になってしまった後には、盲腸の方がよかったとつい思ってしまった。
また僕はこの次の日に、某巨大テーマパークに友達と訪れる予定だったのだが、その予定をあえなくキャンセルした。今思うと、一日ずれてその日に腸閉塞になっていたらきっと大惨事だっただろう(笑)
夜間診療所で薬を処方してもらい、それを飲んでその日の夜は寝ようとしたのだが、その夜が地獄だった。お腹を包丁
で刺されているような激しい痛みと何回吐いても収まらない吐き気が止まらずに襲ってくるのだ。まさに半殺し状態であり、いっそ死にたいと何回思ったことだろうか。その日の夜はほとんど眠れず、家族も胃腸炎にしてはおかしいと思い、翌日の朝、市内の大きい病院である市民病院へと向かった。
市民病院では、まず消化器内科へと通され、血液検査、CT検査、尿検査、レントゲン検査などを行い、ついに病気が発覚した。腸閉塞(イレウス)である。検査をしている時は歩くことさえおぼつかず、車イスで検査をして回った。腸閉塞についてはこちら。http://sp.skincare-univ.com/article/012298/
腸閉塞という病気を僕はまったく知らず、お医者さんにいきなり入院と告げられた時は、正直驚いて現実をあまり受け入れられなかった。
この病気は、赤子かお年寄りに多いらしく、また開腹手術をした人がその癒着で腸閉塞を起こす、というパターンが最も多く一般的らしい。その両方に当てはまらない(高校生で開腹手術経験ナシ)僕は相当レアケースらしいのだ。沢山の看護師さんなどに驚かれた。結局この時点ではよく原因はわかっていないが。
そしてその日から入院、夕方に麻酔をかけられイレウス管という細長い2mちょっとのチューブを鼻から腸まで入れられて、絶飲食を余儀なくされた。これが腸閉塞のつらい点だ。治療法としてイレウス管は有効なのだが、鼻や喉への違和感が半端ない。ほとんどそれのせいで夜は眠れず、違和感で吐き気も生まれる。多くの人はこのイレウス管でよくなるらしいのだが、僕はまったくよくならなかった。
そして入院して3日目のお昼頃、昼寝から目覚めるといきなりお医者さんに、
「今日の夕方緊急手術をします。」
と言われた。僕は現実をよく受け止められなくて頭の中にはハテナしか浮かばなかった。
心の準備も何もなく夕方に手術室まで運ばれて行った。すると手術室内では何故か、backnumber の楽曲が流れていたのだ。特に病院側にそんなつもりはなかったようだが、僕は backnumber が好きなので少し心が落ち着かされた。そして手術直前、僕達のバンドの十八番でもあった、高嶺の花子さん が流れてきた。ここで僕はこの曲とは何か因縁でもあるのかな、と微笑ましく思った。そしてこの曲のラストサビ前の、
「真夏の空の下で〜」
の辺りで全身麻酔をかけられ、ラストサビに入る時にはもう意識はなかった。
目が覚めた時にはもう手術は終了しており、ICU(集中治療室)というところに入れられていた。お腹の手術痕がじんじん痛んでいた。足の血栓予防のためのものが足につけられていて、足もみマッサージ機のようだった。
その日の夜は手術痕の痛みでなかなか寝れず、目覚めて看護師さんに時間を聞いては1時間しか経っておらず、時間がとても長く感じた。
そして翌日午後、一般病棟に移される前に少し歩行訓練をしてみた。5mくらいを歩くのに10秒ほどかかり、そして疲労が半端ないのだ。麻酔と入院でこんなに衰えてしまったのかと少し悲しくなった。
一般病棟に移されてからは、癒着を防ぐために頑張って歩こう、としか言われなかった。まず起き上がるのに腹筋を使うがそこがとても痛い。そして歩くのも背を曲げて歩くことしかできない。最初はそんな状態だった。だがその日から水とお茶は飲んでもいい許可がおりて、何日ぶりかの飲み物を飲んだ。とても美味しかった。一般病棟に移った日の夕方、なんと学校の同級生である友人BとCがお見舞いに来てくれた。顔を見に来てくれるだけでもとても嬉しかった。
術後3日目は、午後に友人2人がお見舞いに来てくれて、さらに夕方にはまた友人Bが来てくれた。ただただ嬉しい。
そして術後4日目、三分粥の食事がお昼から始まった。正直お粥は嫌いなのできつかったし、他の食べ物もほとんど舌で潰せるようなとても柔らかいものであまりよくはなかったが、1週間ぶりの食事だったので味わって食べた。そして友人BとDが来てくれた。その日はたまたま体調があまり優れていなくてきつかったが、友人が来てくれていたので乗り切った。
術後5日目、五分粥となった。正直三分と五分の違いはあまりわからなかったが、周りのおかずが少し形あるものになっていた。そして友人A,B,Cを含む8人もの人がお見舞いに来てくれた。人数が多いからか少し息苦しかったのだが(笑)夜には全粥となり、やっと普通のお粥と柔らかい普通の食べ物が出てきてとても美味しかった。あのブリの照り焼きの美味しさは忘れられない。
術後6日目、ついに僕は常食となり、ふっくらとした白ご飯を10日ぶりに口にした。本当に美味しかった。普通のご飯を食べられることへの喜びを改めて再確認した。また、この日はバレンタインデーであったが、入院している僕にとっては特に関係はなかった
この日は友人B,Dを含んだ合計10人もの人が来てくれた。たくさん来られるのも困るけどやっぱり嬉しい。また、その日にお医者さんに、
「明日にはもう退院しても大丈夫ですよ。」
と言われ、僕はついに普通の世界に戻れると思い、とても喜んだ。そしてもう一生これほどつらい病気にはなりたくないと思った。
そして術後7日目の午前中に、僕はついに退院した。その日のお昼は、お祝いにお寿司を食べに行ったが、まだ怖いのでいつもより食べる量はしっかりと減らした。
夕方から、家族の僕の看病への慰安も込めて、2泊3日の家族旅行に出掛けた。その日の夜はホテルにある8100円のイタリアンビュッフェ
、さすがに食べる量はかなり減らしたが、どうせなら元気な時に沢山食べたかった。
入院中もそうであったが、寝起きは毎回お腹が気持ち悪く感じていた。退院後もそれは残っていたが、いずれ消えるだろうと思っていた。
旅行2日目の夜は7000円の高級ヒレステーキ
を食べた。だが実はこの日のお昼くらいからお腹がずっと気持ち悪く、あまり乗り気でないままそれを食べた。味はとても美味しく、満足してホテルに帰って眠った。
そして翌日、いつもなら気持ち悪いだけのお腹が、少し痛みも伴っているのだ。早々家に帰り布団に潜っていたが、なかなか痛みは取れない。その日のお昼はうどんで、少し食べたが、ほとんど食欲がない状態だった。夜ご飯もほとんど食べず、また布団に潜った。
その日の夜はあまりよくは眠れず、翌日を迎えるも食欲は依然として無く、ただただ横になっていた。ただ前回の腸閉塞と違う点として、痛みが周期的なものだったから楽な時も少しあった。今回は締め付けられているような痛みで、これもまたとても痛かった。
午後になってついに吐き始めたので、休日だったが市民病院に連絡し、休日診療へと向かった。前回同様いろいろ検査をして回った結果、衝撃的な事実を突きつけられた。また腸閉塞(イレウス)になっていたのである。腸閉塞は再発率40%と言われているが、まさかこんなに早くなるとは思ってもいなかった。開腹手術の癒着をするにはまだ早すぎるので、たぶんまた別の腸閉塞になってしまったのである。僕はこの時絶望した。一生なりたくないと思った病気にまたなってしまったことをとても悲しんだ。
今回は腸までではなく、胃までの60cmほどのチューブをまた鼻から入れて処置をしたが、今回は麻酔なしでそのまま意識がある状態で入れていくためとてもしんどかった。4回入れたが4回とも拒絶して吐いてしまった(笑)さすがにお医者さんもこれ以上入れるのは可哀想ということになり、ひとまず絶飲食で様子見となった。
その日のうちにまた入院が決まり、1日は救急病棟に入院した後、また前回と同じ一般病棟にリターンしたのである。前にお世話になった看護師さんなどもいて、逆に恥ずかしかった。
そこから2日は絶飲食をして、3日目に水とお茶の許可と流動食が出始めた。この流動食がまたまずいのである。流動食とは言ってもすべてほとんど飲み物、特に重湯はとてもまずい。重湯とはお粥の液体の部分だけのものである。味噌汁が一緒に出ているのでそれと一緒にじゃないと重湯はまず飲めない。
4日目、僕はとんでもない失態を犯してしまった。流動食というものは液体なので、口で溶けるチョコレートなら食べてもいいんじゃないか?と安直なことを考え、チョコレート(ダース1箱)を食べてしまったのだ。これが悲劇の始まりである。その日の午後からお腹が痛くなり始め、次の日のお昼までご飯は抜きとなった。
※ちなみに、チョコレートを食べたことはお医者さんにはとてもじゃないけど言えなかった。
調べてみると、チョコレートは消化の悪い代表例であり、ちゃんと調べておけばよかったと心の中で猛省した。
やっと夜、また流動食が出てきたが、やっぱり流動食はまずい。早くせめてお粥にならないかなと願っていた。また、この日には、学校の期末テスト前なのにも関わらず友人Dがお見舞いに来てくれた。来ることを知らなかったので少しびっくりしたが笑。
なんだかんだ、この時点では腸の状態はよくはなってきていると言われていた。たまに痛みを感じていたがなんの痛みだったんだろう。
再入院して7日目、母親と共にインフォームド・コンセントをお医者さんにしてもらった。1回目の原因は生まれつきある人にはあるメッケル憩室というものが影響してなってしまったらしい。2回目は癒着にしては少し早いが、癒着か手術の影響の何かではあると思うが、開腹をしていないのでよくはわからないと言った感じであった。まあつまり、僕は原因がしっかりとあるわけではなく、運悪くなってしまったような感じなのだ。退院してからも食生活を気をつけるしか、またならないようにする策はないのだと言う。僕が一番好きな食事を制限されるのはとてもつらいものだ。この日でやっと、自分の病気について詳しく知ることができた。
8日目、お昼からついに三分粥食となり、クリームシチューみたいなものを食べた。久しぶりのまともっぽい食事に本当に感動したしとても美味しかった。午後はお腹の張りによる痛みが少し気になったが、お見舞いに来てくれた友人Bがいろいろとお世話をしてくれた、感謝。夕食の三分粥もなんとか完食(好き嫌いが多いので大変だ)し、お腹の調子も少しよくなり、8日目を終えた。
9日目の朝、体重測定があり、測定してみると衝撃の結果だった。なんと元の体重より5kgも減っているのだ。絶飲食や少ない食事、運動不足による筋力低下のおかげでこんなにも体重が減ってしまっていた。
そしてこの日のお昼から五分粥に。食事を上げていっても問題はなかったが、相変わらずたまに来るお腹の痛みが治らずにいた。いくら普通の食事ができるようになっても、この痛みをなくさずには退院はしたくないなと思った。
10日目、いつも通り朝レントゲンを撮り、お昼から食事が軽菜食となり、普段の食事にかなり近づいてきた。そしてこの日、お医者さんが、
「正直病院にいても家にいてもやることは同じで薬を飲むだけだし、レントゲンを見る限りでもよくなってるから、自宅療養の方がいいんじゃない?」
と言った。まだたまにあるお腹の痛みは残っていたが、それは徐々になくなってくはずで、家でも病院でも痛みは変わらないし、痛みがあるのは仕方ないということだ。ということで僕は、2日後に退院することにした。
またこの日に栄養指導を受けたのだが、早食いを気をつけようということだった。僕はとても早食いだと自覚していたのでそこをこれからは気をつけなければなと思った。
11日目、この日初めて僕は夜中に一回も起きずに眠ることができた。少しずつだんだんと回復しているのだろうか。まだ少しお腹が痛んでいたので、そこは早く痛みが取れたらいいなと思っていた。この日の昼から常食になるとウキウキしていたが、出てきたのはお粥で少し残念だった。お粥はほんとに美味しくない。
12日目、ついに退院の日だ。朝ごはんも完食して退院の準備をした。家に帰れる、そう思うと嬉しくて仕方がなかった。お腹の痛みもそこまで多くはなく、いい感じであった。
午前11時頃、ついに僕は退院し家に帰った。家でおよそ1ヶ月ぶりにお風呂に入って、とてもいい気分になった。そして美味しいかつ消化のいい普通のお昼ごはんを食べてとても満足した。処方された薬の量は尋常ではなかったが、それを飲んでその後、久しぶりに自分のベッドへと入った。
その後は、ゆっくりだが徐々に良くなっていき、食事も通常のものを食べれるようになっていった。
僕は今回、運悪く腸閉塞になってしまいました。つまり、この病気は原因なくとも急になる可能性が誰にでもありうるのです。本当につらい病気なので、吐き気と腹痛を感じた際は、早めに病院に行くことをお勧めします。早期発見に損はありません。自分には関係ないと思ってるととても危険です(笑)今後、今回のこの経験を生かすことができたらいいなと思います。そして、今後は絶対に再発させたくないです。
僕は友人Aと、お昼を食べるために某うどん専門店に立ち寄り、席についてうどんを食べた。その瞬間、何かお腹に変な違和感を覚えた。その時は、
「よくあるいつものお腹痛くなるやつか
と思っただけで、特に気にしてはいなかった。だが、いつもなら少し経てば収まる痛みが、食べ終わっても全然収まらないのである。慌ててトイレに駆け込むも、何も変化はなし。仕方なく痛みを携えたまま、お店を去った。
僕はこの日の午後、学校の同級生たちによる高校生バンドのライブというものがあり、同じバンドの友人Aは、
「きっと緊張してるんだな笑」
と言った。だが僕はそういうものにあまり緊張しないタイプであり、内心では絶対違うと思っていた。
ライブ会場に到着し、準備などをしている時もずっと痛みが収まらず、ひたすら座って痛みを我慢していた。皆がたくさん心配してくれて嬉しかったけど痛みは変わらず…。ここまで収まらないのはさすがにおかしいと思った。
そしてリハーサル、お腹が痛くて力が入らず歌うのもかなりきつい状態。ここではさすがに省エネして本番までしっかりと休むことにした。
そしてライブ開演。自分たちの番までは他のバンドもあまり見ずに控え室で休んでいた。
本番までには収まるだろとタカをくくっていたが、結局痛みは全然変わらずに自分たちの番を迎える。僕は backnumber の 高嶺の花子さん などのボーカル曲を4曲とMCを担当しており、ほとんどの時間声を発する役割であった。それによりお腹は常に痛く、また盛り上げるための動きなども必要だったので最後の力を振り絞り、なんとか自分たちのライブをいい感じに終わらせることができた。ここでお腹痛いからなどと言ってメンバーに迷惑をかけるわけにはいかなかったので、成功
その後、僕はライブの司会も担当しており、それもなんとかこなした(演奏中は端っこで座って休んではいたが)。
そして無事に、ライブはすべて終了。みんな盛り上がっており、お菓子などを食べていたが、僕はまったくそんな気にはなれなかった。なんとか頑張って置いてあったお菓子
「美味しいのに…吐きそう。」
この後ライブの打ち上げの予定があり、とても行きたかったが自分の体調を考え、一人で帰ることにした。
駅まで歩いている途中で家族に、もう夜だから夜間診療所に連れて行ってくれと連絡し、電車で最寄りの駅まで帰った。その電車内では吐き気と腹痛で泣きそうだった。
そして家族に夜間診療所に連れて行ってもらい血液検査などの診察を受けると、
また僕はこの次の日に、某巨大テーマパークに友達と訪れる予定だったのだが、その予定をあえなくキャンセルした。今思うと、一日ずれてその日に腸閉塞になっていたらきっと大惨事だっただろう(笑)
夜間診療所で薬を処方してもらい、それを飲んでその日の夜は寝ようとしたのだが、その夜が地獄だった。お腹を包丁
市民病院では、まず消化器内科へと通され、血液検査、CT検査、尿検査、レントゲン検査などを行い、ついに病気が発覚した。腸閉塞(イレウス)である。検査をしている時は歩くことさえおぼつかず、車イスで検査をして回った。腸閉塞についてはこちら。http://sp.skincare-univ.com/article/012298/
腸閉塞という病気を僕はまったく知らず、お医者さんにいきなり入院と告げられた時は、正直驚いて現実をあまり受け入れられなかった。
この病気は、赤子かお年寄りに多いらしく、また開腹手術をした人がその癒着で腸閉塞を起こす、というパターンが最も多く一般的らしい。その両方に当てはまらない(高校生で開腹手術経験ナシ)僕は相当レアケースらしいのだ。沢山の看護師さんなどに驚かれた。結局この時点ではよく原因はわかっていないが。
そしてその日から入院、夕方に麻酔をかけられイレウス管という細長い2mちょっとのチューブを鼻から腸まで入れられて、絶飲食を余儀なくされた。これが腸閉塞のつらい点だ。治療法としてイレウス管は有効なのだが、鼻や喉への違和感が半端ない。ほとんどそれのせいで夜は眠れず、違和感で吐き気も生まれる。多くの人はこのイレウス管でよくなるらしいのだが、僕はまったくよくならなかった。
そして入院して3日目のお昼頃、昼寝から目覚めるといきなりお医者さんに、
「今日の夕方緊急手術をします。」
と言われた。僕は現実をよく受け止められなくて頭の中にはハテナしか浮かばなかった。
心の準備も何もなく夕方に手術室まで運ばれて行った。すると手術室内では何故か、backnumber の楽曲が流れていたのだ。特に病院側にそんなつもりはなかったようだが、僕は backnumber が好きなので少し心が落ち着かされた。そして手術直前、僕達のバンドの十八番でもあった、高嶺の花子さん が流れてきた。ここで僕はこの曲とは何か因縁でもあるのかな、と微笑ましく思った。そしてこの曲のラストサビ前の、
「真夏の空の下で〜」
の辺りで全身麻酔をかけられ、ラストサビに入る時にはもう意識はなかった。
目が覚めた時にはもう手術は終了しており、ICU(集中治療室)というところに入れられていた。お腹の手術痕がじんじん痛んでいた。足の血栓予防のためのものが足につけられていて、足もみマッサージ機のようだった。
その日の夜は手術痕の痛みでなかなか寝れず、目覚めて看護師さんに時間を聞いては1時間しか経っておらず、時間がとても長く感じた。
そして翌日午後、一般病棟に移される前に少し歩行訓練をしてみた。5mくらいを歩くのに10秒ほどかかり、そして疲労が半端ないのだ。麻酔と入院でこんなに衰えてしまったのかと少し悲しくなった。
一般病棟に移されてからは、癒着を防ぐために頑張って歩こう、としか言われなかった。まず起き上がるのに腹筋を使うがそこがとても痛い。そして歩くのも背を曲げて歩くことしかできない。最初はそんな状態だった。だがその日から水とお茶は飲んでもいい許可がおりて、何日ぶりかの飲み物を飲んだ。とても美味しかった。一般病棟に移った日の夕方、なんと学校の同級生である友人BとCがお見舞いに来てくれた。顔を見に来てくれるだけでもとても嬉しかった。
術後3日目は、午後に友人2人がお見舞いに来てくれて、さらに夕方にはまた友人Bが来てくれた。ただただ嬉しい。
そして術後4日目、三分粥の食事がお昼から始まった。正直お粥は嫌いなのできつかったし、他の食べ物もほとんど舌で潰せるようなとても柔らかいものであまりよくはなかったが、1週間ぶりの食事だったので味わって食べた。そして友人BとDが来てくれた。その日はたまたま体調があまり優れていなくてきつかったが、友人が来てくれていたので乗り切った。
術後5日目、五分粥となった。正直三分と五分の違いはあまりわからなかったが、周りのおかずが少し形あるものになっていた。そして友人A,B,Cを含む8人もの人がお見舞いに来てくれた。人数が多いからか少し息苦しかったのだが(笑)夜には全粥となり、やっと普通のお粥と柔らかい普通の食べ物が出てきてとても美味しかった。あのブリの照り焼きの美味しさは忘れられない。
術後6日目、ついに僕は常食となり、ふっくらとした白ご飯を10日ぶりに口にした。本当に美味しかった。普通のご飯を食べられることへの喜びを改めて再確認した。また、この日はバレンタインデーであったが、入院している僕にとっては特に関係はなかった
「明日にはもう退院しても大丈夫ですよ。」
と言われ、僕はついに普通の世界に戻れると思い、とても喜んだ。そしてもう一生これほどつらい病気にはなりたくないと思った。
そして術後7日目の午前中に、僕はついに退院した。その日のお昼は、お祝いにお寿司を食べに行ったが、まだ怖いのでいつもより食べる量はしっかりと減らした。
夕方から、家族の僕の看病への慰安も込めて、2泊3日の家族旅行に出掛けた。その日の夜はホテルにある8100円のイタリアンビュッフェ
入院中もそうであったが、寝起きは毎回お腹が気持ち悪く感じていた。退院後もそれは残っていたが、いずれ消えるだろうと思っていた。
旅行2日目の夜は7000円の高級ヒレステーキ
そして翌日、いつもなら気持ち悪いだけのお腹が、少し痛みも伴っているのだ。早々家に帰り布団に潜っていたが、なかなか痛みは取れない。その日のお昼はうどんで、少し食べたが、ほとんど食欲がない状態だった。夜ご飯もほとんど食べず、また布団に潜った。
その日の夜はあまりよくは眠れず、翌日を迎えるも食欲は依然として無く、ただただ横になっていた。ただ前回の腸閉塞と違う点として、痛みが周期的なものだったから楽な時も少しあった。今回は締め付けられているような痛みで、これもまたとても痛かった。
午後になってついに吐き始めたので、休日だったが市民病院に連絡し、休日診療へと向かった。前回同様いろいろ検査をして回った結果、衝撃的な事実を突きつけられた。また腸閉塞(イレウス)になっていたのである。腸閉塞は再発率40%と言われているが、まさかこんなに早くなるとは思ってもいなかった。開腹手術の癒着をするにはまだ早すぎるので、たぶんまた別の腸閉塞になってしまったのである。僕はこの時絶望した。一生なりたくないと思った病気にまたなってしまったことをとても悲しんだ。
今回は腸までではなく、胃までの60cmほどのチューブをまた鼻から入れて処置をしたが、今回は麻酔なしでそのまま意識がある状態で入れていくためとてもしんどかった。4回入れたが4回とも拒絶して吐いてしまった(笑)さすがにお医者さんもこれ以上入れるのは可哀想ということになり、ひとまず絶飲食で様子見となった。
その日のうちにまた入院が決まり、1日は救急病棟に入院した後、また前回と同じ一般病棟にリターンしたのである。前にお世話になった看護師さんなどもいて、逆に恥ずかしかった。
そこから2日は絶飲食をして、3日目に水とお茶の許可と流動食が出始めた。この流動食がまたまずいのである。流動食とは言ってもすべてほとんど飲み物、特に重湯はとてもまずい。重湯とはお粥の液体の部分だけのものである。味噌汁が一緒に出ているのでそれと一緒にじゃないと重湯はまず飲めない。
4日目、僕はとんでもない失態を犯してしまった。流動食というものは液体なので、口で溶けるチョコレートなら食べてもいいんじゃないか?と安直なことを考え、チョコレート(ダース1箱)を食べてしまったのだ。これが悲劇の始まりである。その日の午後からお腹が痛くなり始め、次の日のお昼までご飯は抜きとなった。
※ちなみに、チョコレートを食べたことはお医者さんにはとてもじゃないけど言えなかった。
調べてみると、チョコレートは消化の悪い代表例であり、ちゃんと調べておけばよかったと心の中で猛省した。
やっと夜、また流動食が出てきたが、やっぱり流動食はまずい。早くせめてお粥にならないかなと願っていた。また、この日には、学校の期末テスト前なのにも関わらず友人Dがお見舞いに来てくれた。来ることを知らなかったので少しびっくりしたが笑。
なんだかんだ、この時点では腸の状態はよくはなってきていると言われていた。たまに痛みを感じていたがなんの痛みだったんだろう。
再入院して7日目、母親と共にインフォームド・コンセントをお医者さんにしてもらった。1回目の原因は生まれつきある人にはあるメッケル憩室というものが影響してなってしまったらしい。2回目は癒着にしては少し早いが、癒着か手術の影響の何かではあると思うが、開腹をしていないのでよくはわからないと言った感じであった。まあつまり、僕は原因がしっかりとあるわけではなく、運悪くなってしまったような感じなのだ。退院してからも食生活を気をつけるしか、またならないようにする策はないのだと言う。僕が一番好きな食事を制限されるのはとてもつらいものだ。この日でやっと、自分の病気について詳しく知ることができた。
8日目、お昼からついに三分粥食となり、クリームシチューみたいなものを食べた。久しぶりのまともっぽい食事に本当に感動したしとても美味しかった。午後はお腹の張りによる痛みが少し気になったが、お見舞いに来てくれた友人Bがいろいろとお世話をしてくれた、感謝。夕食の三分粥もなんとか完食(好き嫌いが多いので大変だ)し、お腹の調子も少しよくなり、8日目を終えた。
9日目の朝、体重測定があり、測定してみると衝撃の結果だった。なんと元の体重より5kgも減っているのだ。絶飲食や少ない食事、運動不足による筋力低下のおかげでこんなにも体重が減ってしまっていた。
そしてこの日のお昼から五分粥に。食事を上げていっても問題はなかったが、相変わらずたまに来るお腹の痛みが治らずにいた。いくら普通の食事ができるようになっても、この痛みをなくさずには退院はしたくないなと思った。
10日目、いつも通り朝レントゲンを撮り、お昼から食事が軽菜食となり、普段の食事にかなり近づいてきた。そしてこの日、お医者さんが、
「正直病院にいても家にいてもやることは同じで薬を飲むだけだし、レントゲンを見る限りでもよくなってるから、自宅療養の方がいいんじゃない?」
と言った。まだたまにあるお腹の痛みは残っていたが、それは徐々になくなってくはずで、家でも病院でも痛みは変わらないし、痛みがあるのは仕方ないということだ。ということで僕は、2日後に退院することにした。
またこの日に栄養指導を受けたのだが、早食いを気をつけようということだった。僕はとても早食いだと自覚していたのでそこをこれからは気をつけなければなと思った。
11日目、この日初めて僕は夜中に一回も起きずに眠ることができた。少しずつだんだんと回復しているのだろうか。まだ少しお腹が痛んでいたので、そこは早く痛みが取れたらいいなと思っていた。この日の昼から常食になるとウキウキしていたが、出てきたのはお粥で少し残念だった。お粥はほんとに美味しくない。
12日目、ついに退院の日だ。朝ごはんも完食して退院の準備をした。家に帰れる、そう思うと嬉しくて仕方がなかった。お腹の痛みもそこまで多くはなく、いい感じであった。
午前11時頃、ついに僕は退院し家に帰った。家でおよそ1ヶ月ぶりにお風呂に入って、とてもいい気分になった。そして美味しいかつ消化のいい普通のお昼ごはんを食べてとても満足した。処方された薬の量は尋常ではなかったが、それを飲んでその後、久しぶりに自分のベッドへと入った。
その後は、ゆっくりだが徐々に良くなっていき、食事も通常のものを食べれるようになっていった。
僕は今回、運悪く腸閉塞になってしまいました。つまり、この病気は原因なくとも急になる可能性が誰にでもありうるのです。本当につらい病気なので、吐き気と腹痛を感じた際は、早めに病院に行くことをお勧めします。早期発見に損はありません。自分には関係ないと思ってるととても危険です(笑)今後、今回のこの経験を生かすことができたらいいなと思います。そして、今後は絶対に再発させたくないです。