柄井川柳は、享保3年(1718年)- 寛政2年9月23日(1790年10月30日)。
江戸時代中期の前句付けの点者。
名は正道と言い、幼名は勇之助。
通称は八右衛門と呼ばれていた。
柄井家は代々江戸浅草新堀端の、竜宝寺門前町の名主の家系だった。
そして彼が川柳の生みの親。
川柳は俳句と同じ五.七.五の、音数律を持つ。
俳句が発句(俳諧連歌)から、独立したのに対して。
川柳は連歌の付け句の規則。
其れを、逆に下の句に対して行う前句付け(前句附)が、独立したものである。
俳句にみられる季語や切れ等の制限が無いのも特徴の1つだ。
(一部 Wikipediaから抜粋)
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