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peachy

そんな気分でみんながすごせればいいのに

「あいうって変わってるよねぇ」


そんなしみじみ言われましても。


思いながらも手を動かす。宿題を終わらせて、早く家に帰りたいのだ。かぐや姫の呟きに付き合っている暇は無い。


「聞いてるー?」


ねぇ、皇夏ぁと甘い声を積むぐかぐや姫からは苺の香りが漂ってくる。鼻孔と鼓膜は既に耐えられない、と悲鳴をあげているけれど、多数決を取るに三対二で残念ながら少数派の意見を聴くわけにはいかなかった。


「おーい…もう!」


手をプリントと頭の間に滑りこませ、振っていたかと思うと、両手で俺の頭を無理矢理上げさせた。


雪のように白い肌が引き立てる仄かに赤い頬、優しげな雰囲気を引き締めるつり目がちなそれと二重瞼に、赤く厚い唇。質が悪いのはそれらの調和を本人が意識し自覚しているところだ。


「やっと見たぁ」


そっちが見せたんであって別に自分から見たわけではないのだが。


言い訳などをしつつも、少女の愛らしさに魅せられているには変わりない。五感の内四感がかぐや姫に支配されたのだから、俺にはどうすることもできないのだ。


今は五月。県立高校に入学して一ヶ月が経った。入学式以来かぐや姫に懐かれ、二人きりのときにはあいう、と渾名を呼び、無防備に笑顔を振り撒いている。――何を思ってか、周りに人がいるときは第一印象通りの聡明ながら控え目な正にかぐや姫がいる。――そんなギャップにも慣れ始めた頃だ。


「何?」
「私、そうやってなんだかんだ怒らないあいうが好きよ?」


無表情に返した言葉に、フフッと愉しげな笑いが返ってきて、溜め息が漏れた。


――男にそんな簡単に好きなんて言っちゃ駄目ですよ?姫さん。


「ハイハイ、分かったから、静かにしといて」
「はーい」


自分の席でもないくせに俺の前の席に我が物顔で座っているかぐや姫は横座りして、後ろの柱にもたれ掛かりつつ、参考書を開いた。


今日席替えしたばかりのこの席は後ろから三列目、前から四列目で、丁度飛び出ている真ん中の柱に机が三分の一程が隠れていて、内職するにはもってこいの恵まれた環境だ。


――因みに今かぐや姫が座っている席と右隣の席との間には通路が無いため、既に出来上がっている蜜月真っ最中の恋人たちに狙われていたが、幸いそんなものとは縁の無さそうな女子と縁が在りすぎて困っているような男子がくじ引きで引き当てた。



「久しぶりと言ってみたんだ」



アルト声音が辺りに響き、思わず手を止めて聞き入った。




久しぶりと言ってみたんだ。

いつかの眠る君が可愛くて。


誰も、君さえ聞いていなかったこの声に、桜の香りが応えてくれた。


気付くと君は寒そうに小さく体を捩って、暖かい日向に移っていた。


その姿が





――柔らかで優しいそれは――



「ごめん、煩い?」
「いや、続けて」
「そ?じゃあ…」


懐かしい歌だった。もう決して、聞くことのないだろう思っていた曲だった。





その姿が可愛くて懐かしくて撫でてみたけど、

君を幸せな夢から覚ましたくもこの懐旧から覚めたくなくて、

僕は手を伸ばしそっと膝掛けを取った。


君が起きたら、何と言おうか。


桜の香りは応えてくれないだろうけど、きっと君は応えてくれる。


そしたらそっと桜の香りの感謝と懺悔を君に渡して二人で笑おう





『秋冬春夏』という題名のそれはマイナーバンドがインディーズで出したものだ。強烈なファンはそこそこだったが、狭く深いものは世間一般には通用せず、結局はプロになることなく、解散した。


「それの四番知ってる?」
「え?これって三番迄じゃないの?」
「あー…知らないならいい」


馬鹿なことを訊いた。知っているはずなどないのに。これを知っているのは俺と兄貴と――


またプリントに目を落とした俺の頬にかぐや姫は触れ、呟いた。


「…やっぱりあいうって変わってるね」


――それはたぶん俺の台詞だと思う。


目尻から何かをなぞるようにゆっくりとかぐや姫の指は俺の顔を降りていく。かぐや姫が撫でたところだけが異様に血流が速まり、まるでそこに心臓が創られていっている錯覚まで起きる。実際の心臓はドクドクと高鳴り、かぐや姫の冷たい手とは反対に熱い。


白く繊細そうな指が俺の右頬を伝ったかと思えばけれど、何事もなかったとかぐや姫が目を落としている参考書を捲った。


姫様の人差し指に言われた通り、何もなかった、と言い聞かせ、シャーペンを走らせた。ただ、いつも通りにしては頬に残る苺の香りが、あまりにも熱い。


かぐや姫が目を通している参考書は同じ教科である筈の昨日まで読んでいたそれとは違っていたことに気付き、首を傾げる。


「参考書、変えた?」
「あぁ、これ?うん、飽きちゃったから、昨日買いに行ったの」


参考書なんてものは飽きる前に気に入ることがないと思うのだが…


「勉強、好き?」


けれど嬉しそうに参考書を撫でたかぐや姫には、呆れるよりも愛しさが上回る。


「趣味みたいなもんかなぁ…ほら、部活してないし」


趣味ですか。教科書開いた瞬間に眠気が襲ってくる人種の俺には理解出来ない話で、はにかんだ姫にも流石に騙されない。


漫画にはよくいる優等生キャラが、実際にはこんな不思議キャラだったなんて聞いてない。初耳だ。話が違う。――まぁ、たぶんかぐや姫が特殊なのだろうと期待する。こんな人間が何人もいたら世界は大混乱だ。


「それより、終わった?」


ペチン、と俺が持っていたシャーペンを弾き、かぐや姫は首を傾けた。


「あ?あぁ、終わった」
「じゃあ、帰ろっか」


勢いをつけて立ち上がったかぐや姫は参考書が放り込まれたスクールバックを肩に掛け、俺がプリントと筆箱を鞄に直すのを待った。


お待たせ、と声をかけてから教室を出て、玄関に向かう。


「どこ行く?」
「早く帰りたいんじゃなかったの?」
「したら、姫様は俺の家に来るつもり?」
「勿論」
「却下」


この二・三日どんな心境の変化があったのかは知らないけど、かぐや姫は毎日俺の家に行ってみたいと繰り返していた。


「来てもなんもないのに?」
「大丈夫、気にしない」
「…なぁ、なんで来たいの?」
「なんで駄目なの?」


テストなら疑問符に疑問符で返すなんて前代未聞だと怒られるぞ。特に英語教師に。というか、そうやって誤魔化すから何かあるのかと疑って、断っているんですが。


結局かぐや姫の質問には答えないことにして、先を歩いた。


「ドーナツ?ハンバーガー?」
「アフタヌーンティー」
「はいはい」


学校から駅までにそんな洒落た店はないから、一駅移動しなければならないことを理解して言っているのだろう。入学式の翌日連れていかれて以来、学園都市や繁華街から離れた高級感がありながら、静かな町中にあるそこには、この一ヶ月で馴染むほどに何回か足を運んでいた。


カコン、と音を鳴らせて靴箱から取り出したローファーを地面に落としたかぐや姫を横目で見ながら、上履きを靴箱に入れてスニーカーを履き直す。


「ねえ、六月と言えば何?」
「いきなり何」
「別に?なんとなく」
「じゃあ、雨とか?」
「飴?」


甘い声が発したイントネーションが自分が発したそれと違うことに気付いて、「違う違う」と首を振る。


「キャンディの方じゃなくて、レインの方」
「あぁ、そっちね」


頷いたものの、かぐや姫は「そうか、飴かぁ」とキャンディのイントネーションを崩さなかった。一頻り納得しきったのか俯かせていた顔を上げさせ、スカートを舞わしながら先を歩いていた俺を追い抜かして正門を出た。クルリと半回転して正門の横に設置されている守衛室に向かって頭を下げるのも忘れずに。守衛さんが挨拶を返すのを確認してから、かぐや姫は俺に朗笑を向けた。


「今日は何飲もうかなぁ」


ダージリンも良いし、ハーブティーも良いし、レモンコーヒーでも良いしカクテルも良い…


歌うように悩むかぐや姫が微笑ましくて、思わず顔に表してしまったのとほぼ同時。前を歩いていたかぐや姫が俺の顔を覗き込んできた。慌てて目を逸らすと、数メートル先に第一目的地の駅が目に入った。


「あいうは?何が良い?」
「香具屋のオススメで良いよ」
「あいうはいつもそれね」
「香具屋を信用してるからね」
「ホント?」


返ってきた言葉に満足したらしいかぐや姫はフフッと笑いを漏らし、駅の改札口に飛び込んでいった。


その姿は、思い出のあの人を彷彿とさせたけれど、そんな筈はないのだと首を振った。







≫≫ continue