連座制という言葉から、個人の良心を思い浮かべました。


連座制とはつまり、個人が犯した不適切な問題を、その個人だけに責任を課すのではなく、その人の周り、親族や家族、仕事仲間にまで広げて、その責任を課すことです。


そうすることで、不適切な問題を犯した当の本人のみならず、周りにいる人たちも、当人の言動などに無関心ではなく、常に注意を払い、問題を未然に防ぐようになる、という「期待」とも言えます。


もし、良心という機能が正常に働くなら、他の助けなんて、本来必要ないはず。


自分で自分を律することができるなら、法律だっていらないはず。


でも、それが出来ないから、こうやって、連座制とか、法律とか、ルールとか考えるわけよね。



良心と言えば、盗撮というのがあります。


DとかNっちとかが主だけど、盗撮画像を、アメブロという公のツールに公開して、得意気な人たちが、エホバ関係者には一定数います。


彼らは、それが明らかに盗撮という犯罪行為でありながら、それを指摘されても開き直り、エホバはどんな目に遇っても当然、というスタンスです。


彼らには、良心がありません。


Dなどは、盗撮した本人から訴えてもらいたい、とまで発言しました。


彼らは、自分が反対に盗撮され、公開されたら、どう感じるだろうか、という想像力が欠けています。


だからでしょうね、盗撮された人たちがどう感じるか、という発想も皆無です。


そうした人たちに賛同するものたちも一定数いて、俺俺や葉月も彼らとつるんでいました。


連座制。


彼らは盛んに訴えるぞ、を繰り返していましたが、未だに訴状は届きません。


彼らが訴えてきたら、彼らを煽った連中も、明らかにしたいと望んでいますが、こうしたことにも、連座制が適用されると、嬉しいなぁ😆⤴️💓















はい、公開しました。
弁護士さんと相談してきて下さい。