小学校四年生になったころだった・・・

私はプレイルームに呼ばれた。

S君が立っていて~何故か怒っていた・・・


お前・・・俺が言ったこと忘れたのか?

いきなり前蹴りが顔面に飛んできた。

何が起こったのか最初は、わかんなかった・・・

目と鼻がズキズキ・・・

そのあとに、涙。

お前・・・何泣いてるの?

泣けば止めると?
次は、拳・・・まぁーぐうパンチが飛んできた。

気づけば、ぐったりしていた。

じゃあ~続きは・・・風呂で。

S君は、スタスタと部屋に戻って行った。

風呂?

小学校低学年までは(小学校三年生まで)風呂は別だった。

四年生から風呂が中、高生、一緒だった。


風呂場にはシャワーが着いて洗う所が横に3ヶ所から~4ヶ所ぐらいあった。


浴槽は・・・銭湯ぐらいの大きさだったかな?


風呂場に行くとS君が笑って立っていた。


髪を捕まれ浴槽に沈められた。


今思えば・・・よく生きてたな・・・とつくづく思う(笑)


風呂が終わるとボクシングが始まった。


S君達は加減と言うことを知らなかった。


お前を鍛える。と言い、腕立て伏せ50回と言われた。

勿論ただの腕立て伏せでわなく、漫画のように私の背中に乗り、はい~一回~と掛け声が始まりやらされた。

勿論出来るわけない。


周りから無理だよ。

助け船が出た。


でもS君は、そうゆうこと言うからこいつは甘えるんだょむかっ

そう怒鳴って続けた。


周りの中学生達は黙ってた。


私は1番いい方法を思いっいた。


お風呂が終わり、すぐ部屋に戻り寝たふりすることだった。


しかし・・・甘くなかった。


違う人が部屋に来てS君の悪口を私に話してきて、私が頷くとS君登場(勿論S君と複数の中学生わ~そーと隠れてる)


そしてボコボコ。

先生は止めなさいと~たまに怒鳴るだけ。

この施設は、評判は最低だった・・・

ま~悪ガキだらけみたいな汗

そして暗黙のルールもあった。


名前を呼ばれたらダッシュでその人の前に行く。


これ絶対ルールだった。


他の何人かも~超ー敏感だった。


もし呼ばれ、聞こえない気付かない寝てた。


この状況と言うとボコボコ・・・

これは当たり前だった。

正直なんでもありだった・・・
施設には、高校生から小学生までいた。

私が1番最年少だった・・
施設には食堂、職員室、
トイレ、先生が寝る部屋、あとプレイルームと呼ばれる部屋があった。

プレイルームとは、簡単に言うと~本棚が壁に並んでいて真ん中にコタツ、テレビが目の前に一台あと端っこに小さいのが一台。

ようは、寛ぎの場所のようなとこ。

食堂にも一台テレビがあった。

そうそうプレイルームには天井に一台カメラが付けられていた。

最初は謎だった・・・

あと洗濯室と言う部屋があった。

ここは洗濯物を畳んだり、干す部屋だった。

あとは子供達の部屋が8部屋ぐらいあった。

そうそう、あと障害者の子供が4人ほどいた。

この施設は変わっていて、施設の建物の前に(歩いて10㍍)のところに老人ホームがあって、ここの2階で夕食を食べる決まりになっていた。

勿論子供達とおじいちゃんおばあちゃん達と・・・

何故か園長先生は、そこで食事はしなかった。老人ホームの最上階に住んでいて夕食のとき子供達が運ぶという決まりがあった。

朝食は、当番制で子供達が往復して施設の食堂で。

昼も基本は老人ホームの2階だった。

お風呂は老人ホームの一階で入ってた。

その横に確か乾燥機がある部屋みたいのがあり、反対側の部屋は、霊安室だった。
お風呂のあと、洗濯物取りに行くとき・・・怖かった。

最初は楽しかった。

最初は・・・

この施設には、ルールがなかった。

あるのは、自由と暴力・・
ほとんど何でもありだった。

イジメなんて言う甘ちょろいもんじゃなかった。

私は甘えるという行動が好きだった。

小さい頃から愛情を沢山貰えなかったせいか・・・・とにかく甘えん棒だった。
私が転校してきて、しばらくして小学生2年生の終わりぐらい?のときかなあせる

施設のプレイルームに呼ばれた。

そこには、怖い中学生が二人いた。

甘えていいのは小学3年までだからな・・・

私はそう怒鳴られ、はいっと答えた。

施設には、四人の怖い人がいた。

A君。この人が1番年上で怖い人の一人で、顔のニキビをよく気にしていた。

次にS君・・・この人がヤバすぎた。

赤ん坊の時から施設に居たらしく、怖さが1番あった。
基本的、皆言うことを聞いていた。

次にK君・・・ゲームが好きな人で、いつもテレビの前でファミコンをしてた。
四人のなかで最終的中良くなったひと。

しかし、S君には逆らえず命令あれば容赦なかった・・・

最後にM君。この人もゲーム好きで、ファミコンや後に出るスーパーファミコンの持ち主。

この人は心臓に病気を持っていて、しょっぱい物が食べれなかった。

食事制限がある人だった。
食べ物も皆と別で可哀相だった。

醤油が使えない代わりに、確か減塩醤油とゆうのを使っていた・・・

この人は、比較的暴力はなかったけど、基本的S君の命令は聞いていた・・・

たまに、この人も殴られてたけど・・・

ちょっとした神経質で、手を何十回も洗う人であせるよく怒られてた。

お前は~アライグマか!!水使い過ぎだ・・・っと。
あとは、手癖の悪のが二人それは後ほど・・・

と、この四人が施設を牛耳っていたと言っても可笑しくなかった。

そして、私の甘えていい時間が終わった・・・
私は、電車の中で父親の手を握ったまま寝てしまった。
気付いたら、父親に負ぶさっていた・・・

降りる・・・

父は、寝ててもいいよ?っと・・・

いい・・・

駅を降りて、タクシーに乗った。

どのくらい走っただろう・・・
降りるよ。
父親に言われ白い建物の前でタクシーが泊まり父が私の手を握り一緒に降りた。
お父さん・・・ここどこ?
父親は答えなかった。

中に入り奥へ進むと、女の人が来て、こんにちは~と話しかけてきた。

父親は、よろしくお願いします。と言って、私に今日からここで、いい子で居るんだよ。と言った・・・

そこは児童相談所だった。
また来るから・・・

父親は、私を残し帰って行った・・・

でも、不思議とその時確か全然悲しくなかったし、嫌でもなかった。

慣れてる?いや、違う・・
父親を困らせたくない・・
助けたい・・・

何だろ・・・

とにかく涙は出なかった。
また、すぐに会えるし・・・
一人の女の人が私の前に来た。
こんにちは、今日からあなたの担当の先生になる〇〇です。

優しそうな人だった。

建物の中を案内してくれて先生たちも紹介してくれた。
そのあと食事になった。

食堂と呼ばれる場所に皆集まり、他の子供の前で紹介された。

頂きます。号令と同時に食事が始まった。

私は担当の先生の横に、ちょこんと座り前には、確かその相談所の偉い人がいた
私は、食べていいの?と聞き先生は不思議そうに、いいのよ、っと答えた。

私は食べ始めた・・・

おかわりもした。

しばらくして、先生達が私を見ているのに気付いた。
私は先生にどうしたの?っと聞くと涙を堪え震えた声で先生が、おかずも食べていいからね、っと言った。
多分、私が白いご飯ばかり掻き込む姿をみて、きっと同情したんだろう・・・

いつも、お米だけ?先生が聞いてきた。

私は意味が解らなかった。
誰も取らないから、ゆっくり噛んで食べなさい・・・
先生は、また震えた声で言った。

先生達は、可哀相にと何やら話していた。

今まで満足に食事させて貰ってなかったんだね・・・
多分こんな会話していた。
食事が終わりお風呂に入りそして寝た。

次の日、ブランコに乗った先生が後ろから押してくれた。

そのあと本も読んだ。

何日か過ぎて、今度は紙の作り方を教わった。

あとハガキも・・・

牛乳パックの残りを使って・・・
色々教わった

一ヶ月ぐらい経ったときだった。

先生に呼ばれた。

あなたが、これから暮らす施設が決まったの・・・

私は聞いた。

ここに居たい・・・

ここには、ずーっとは居れないの・・・

先生も一緒に居たい・・・けどね・・・

先生は泣いていた。

何で悲しいの?

私は聞いた。

先生は、さらに泣いた。

今考えれば、きっと一緒に過ごして凄く愛してくれたんだろう。

自分の子供のように・・・
お父さんは来るの?

先生は、うん・・・と首を縦に振った。

そして、父親が迎えにきた
私は父の左手を握り児童相談所を出た。

振り返ると先生が立って見送っていてくれてた。

私は、またね・・・と言って手を振った。

電車に乗り、父親が私の頭をポンっと叩き、いい子にしてたか?と言ってジュースをくれた。

あの時のジュースは、凄く美味しかった。

そして、電車を降り二人で手を繋ぎ歩いた。
20分ぐらい歩いたかな?

歩きながら父親が言った。
しばらく会えないから・・・お父さん船に乗るから。夏になったら迎えに行くからね。
父親が淋しそうに言った。
解った・・・

そして、施設(〇〇〇学園に着いた。

園長先生が出て来て、先生達を紹介された。

しばらくして施設の説明をうけ、父親と離れる時が来た。

この時何故か寂しかった・・・
何でだろう・・・

あんだけ平気だったのに・・・
父は口癖のように、いい子にしてるんだぞ・・・っと言って帰って行った。

ここから私の本当の地獄が始まった・・・