宇宙の波紋~SORANOMINAMO~

宇宙の波紋~SORANOMINAMO~

心を映すパステル曼荼羅アートを描きながら、日々の雑感を語っています。

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前回の続きです。

 

父が亡くなって2日後にお葬式を執り行いました。
両親の実家からは遠く離れた分家なもので、今までの人生では親族のお葬式には呼ばれる側。
しかも数回しか体験して来なかったので、お葬式をする側の知識が正直ほとんどありませんでした。
また無宗教なので、葬儀屋さんには無宗教スタイルのお葬式の流れをアドバス頂きながら流れを決めていきました。

急にも関わらず、横浜や青森からも親族が駆けつけてくれ、ささやかだけど素敵なお葬式になりました。


さて、今回初めて「家で看取る」という経験をしましたが、今思い返してもあの日は壮絶です。
スマホの着歴は何十件も残っているし、押した契約印と契約書は膨大です。
病院の対応とか、病院同士の鬩ぎ合いとか、救急搬送とか酸素ボンベとかたん吸引とか…!
本当に様々な場面に出くわし、対応を迫られた1日でした。
正直なところ、

 

「すっごく大変だったんだぞビックリマークビックリマークおーっ!おーっ!おーっ!むかっ

 

と叫びたいのが1番の感想です笑い泣き

あの大変な1日がもし、「病院から死亡の連絡が来るだけ」の1日だったとしたらこの体験を全く知らないまま終わったんでしょうね。そう思うと、家で看取るか病院にお願いするかの決断は本当に運命の分かれ道だったと思います。
どっちを選ぶ?というより選べなかった今回の体験ですが、今はもう、否応なしに同じ道にやってくる人が多いんじゃないかなと思います。


何もかも何となく病院に任せられる時代ではないのかもしれません。


書いた通り病院の対応も様々です。自分の経験したことを感じたまま書きましたが、やっぱり最初の病院の対応は今も疑問で、今更是非を問う術もなく、不信感だけが残っていますショボーン

自分は家族のために何をしてあげたいのか。
何ができて何ができないのか。
それを自分にも相手(病院)にも確認して、
ひとつひとつ決めていかなければならない時代だと思います。

不器用な人間なので模範的な体験ではありませんが、今同じ境遇の人に良くも悪くも参考になったら嬉しいですキラキラ


父が亡くなる3日前。
父から電話が来て、
「あと3日だね、退院の準備、抜かりなく頼むよ。」
とだけ伝えてきました。
それが私にとって、父との最後の会話です。
仰せの通り、任務は果たせたのかな?
…とずっと考えながら、この文章を書いていました。


おわり。

(やっと終わった…笑い泣き

前回の続きです。

 

 

■死亡→葬儀までノンストップ
本来のスタイルであろう、病院で亡くなるというプロセスをたどった場合、遺体は病院が霊安室で保管してくれます。その間に家族は葬儀屋さんを手配し、葬儀屋さんが遺体を引取りに来てくれるみたいです。
一方、家で看取る場合は看取りが終わったらその瞬間から遺体の保管方法を考えていかなければなりません。
父は真夏の暑い日に自宅のリビングで亡くってしまったのです。
葬儀についてはこれから…と思っていたので、今日まで本当に何も考えていませんでした。
とりあえず、一度連絡だけはしていた最寄りの葬儀屋さんに亡くなったことを連絡すると、すぐにドライアイスを持って打合わせに来てくれました。
翌日夕方に納棺士さんの手配をしてくれたので、それまで遺体はリビングでドライアイスで冷やしてもらうことになりました。
(棺に入れば完全に冷却されるので心配ないとのこと)

■認知症の人は疲れ知らず…
コロナ禍のご時世でもあるので、葬儀は家族葬で、できるだけシンプルに…ということになりましたが、母は1分前のことも忘れてしまいます。葬儀の打合せ中、何度も何度も同じことを質問します。
その度に答えても、また忘れて

「なんで?」「あれはどうするの?」「はいはーい!質問!」「大事な確認なんだけどね…」

と話が進まない。(基本的に主導権を握りたがる人)

葬儀の盛沢山の内容を進めていかなければならない私の口調はどうしても強くなる。
すると今度はむつけてしまいます。
妻としてこの場を離れたくない気持ちがあるようだし、私もそれは尊重したい。
けれど記憶は20年前に飛んでいるらしく、会社の大勢の人を呼びたいと泣き出したり、話があっちにこっちに飛びます。私たち兄弟はもう疲労のピークで、話を推し進める力もないし、頭が回りません。母の相手をしていると何時間も同じ場所を彷徨ってしまいます。
 

事情を察した葬儀屋さんが、また明日にしましょうと切り上げてくれました。
そして小声で「何かあれば24時間いつでも連絡してください。」と提案してくれました。
この時すでに0時を回っていました。
残念ではありますが、明日改めたとしても母がいると話は進まないでしょう。

私は深夜2時、アパートに帰ってから葬儀屋さんに電話をしました。
打合せ再開。
夜明け前に完了しました。

 

朝になり兄と妹に上記のことを報告。

翌日午後の葬儀なので、親族と父の親しい人達に早急に連絡してくれるように指示して…やっと寝れました。
…長い長い1日でした。

■葬儀屋さんの対応力(依頼した葬儀屋さんの例)
葬儀屋さんは突然「今日死亡したので葬儀お願いします」と言っても対応してくれるのでしょうか。
答えはOK!だそうです。むしろ亡くなる前は何も対応できないそうです。
具体的に言うと、葬儀屋さんは火葬場の手配もしてくれます。その火葬の許可は医師の死亡診断書が出ないと下りないそう。

なので、亡くなる→死亡診断書が出る→葬儀会社に死亡診断書を提出できる…となってようやく葬儀会社は動くことができます。

だから、「亡くなる前から葬儀の心配はせず、最期の時までその人についてあげて下さい。我々への最初の一報は「今日死亡したので葬儀お願いします」で大丈夫です」とのこと。
つまり、死期が予測できたとしても前もって予約などしなくてもいいということですね。
 

また葬儀屋さんは職業柄24時間対応してくれますので、その第一報が真夜中になっても大丈夫です。
考えてみれば、ブライダルは何ヶ月も前から段取りを決めていくのに、葬儀屋さんは突然に死亡連絡が入り、数日以内に親族を集めて葬儀を執り行うわけです。私たちのように何も分からず、話もまとまらない家族も沢山いるでしょう。本当に大変なお仕事だと思いますが、無事に素敵なお葬儀をあげることができて、大変有難かったです。

…次で終わる。

前回の続きです。

 

 

■家族が揃うまで待っていた父
この後、膨大な量の契約を交わし、チームの皆さんはいったん解散。
静けさが戻ったところで、妹が遠方から帰ってきました。
これでやっと家族全員そろい、家族だけの時間になりました。
みんなで父の手を握りながらお話ししました。

 

私はここから不足している介護用具を買い出しにいったり、喪服をクリーニングに出したり、葬儀屋さんに初コンタクトを取ったり、自宅の猫にごはんと薬をあげなければならなかったりでいったん家を離れました。


そうしているうちに「父の呼吸が止まった」と妹から連絡があり、急いで帰宅。
看護婦さんと先生にも来てもらい、20時過ぎに死亡を確認。
73歳でした。


家に来てからずっとしていた大きな呼吸。
下顎呼吸と言うらしいけど、この呼吸になったらふつう2~3時間で死んでしまうらしい。
それを7時間も頑張っていました。
家族が揃うまで待ってくれていたんだと思います。
退院の日に死んじゃうなんて…と思いましたが、最期の時を家で、家族に囲まれて逝けて本人は満足だったのかなって思います。

看護婦さんが父にやさしく語りかけながら体を丁寧に拭いてくれました。
手際よく、けれども父を一人の人間として尊重してくれているのが分かります。
私たち家族も一緒に拭かせてもらいました。

頭も体もバタバタバタバタしていて悲しみなんて実感もなく、とにかくやることがいっぱいで正に意味不明でここまで来た私は、ここでようやく自分の精神が静かになった気がしました。

自然と涙がこぼれました。


このような死後の処置をエンゼルケアというらしいですが、こういう工程を踏むことで、家族にも気持ちの切り替えが齎されるような気がします。心なしかさっぱりした父の顔を見て、苦しみから解放されて、きれいにしてもらってよかったねと思いました。

■よいケアマネージャーさんにめぐり会えるか
これまで父の体調が変化するたびにまず相談していたのはケアマネージャーさんです。

M病院を紹介してくれたのもケアマネージャーさんです。
ケアマネージャーとは、要介護認定を受けている人を対象に担当として付くことができ、生活状況に応じて、介護サービスを紹介してくれたり、実際の生活の中に組み込んでくれる人です。
父を担当してくれたケアマネさんは、入院中は病院付属のケアマネさんと連携して、退院後の父に何が必要なのかを把握し、介護プランを立てて私たちに提案してくれました。
私たちが自力で調べても見つけられない今回のような巡回サービスや、介護用具、制度など、本当に力になってもらいました。
ケアマネさんは、誰もが通るけれど、誰もが最初は何も分からない介護の世界の、道先案内人です。
経験豊富で臨機応変に対応してくれる、よいケアマネさんに巡りあえるかはすごく重要だと思います。
ケアマネさんが必要!と思ったら、最寄りの地域包括支援センターに相談するといいと思います。

(死んだら終わりじゃない。まだつづく…)
 

前回のつづきです。

 

 

この日、15時から往診専用の先生が初診に見え、その後で訪問看護士、訪問介護士の契約と打ち合わせが続く予定でしたが、事態を聞きつけ看護士さんだけ先に訪問してくれました。

こちらの看護士さんは実に頼もしい。

酸素ボンベのことは手慣れていてお任せできたし、父の状態を確認して、たん吸引を行い、担当医師に電話で報告してくれています。

 

■病院同士の鬩ぎ合い

突然、往診医師の事務担当から「○○さん(父)の状態をお聞きする限り、初診で看取りを行うなんて普通できないんですよ!そもそもO病院はそんな状態の患者さんを退院させてはいけないんです!たとえ搬送中に急変したのであっても、その時点でO病院に戻すべきなんですよ!今O病院に状況の確認をしていますから、最悪の場合またO病院に戻ることになりますので、ご了承下さい!」との怒りの連絡が来ました。

次に往診の先生から直接電話が来て、O病院での引き渡し時の父の状態を詳しく聞かれました。そして私たち家族の意思を確認されました。

 

医師:もう、やれることはやってきたんだよね。最期は家族で、お家で看取りたいんだよね?

私:はい。せっかく家に帰ってきたのにまた送り返すのはかわいそうです。先生に来てほしいです…。

 

先生は私に、父の口元に受話器を持って行って、呼吸音を聞かせるように指示しました。

そして「苦しそうに見えるかもしれないけど、もう見た目ほど本人は苦しくないよ。意識も半分あちらに行っている状態だからね」と教えてくれました。

そして父を引き受けてくれることになりました。

 

15時過ぎ。

父の意識は戻らないまま、先程電話をくれた医師、看護士、介護士、事務員、ケアマネージャー(父担当のケアマネさん)…大勢が我が家に集いました。

ケアマネージャーさんが父の状態をよく把握してくれていて、予め作成した介護計画を全員に配ってくれます。

 

◆介護士さんが1日5回、オムツ交換や体位の変換、体拭き、着替えなどのために訪問。

◆深夜の訪問はベルを鳴らさない(家族を起こさず、父の介護のみする)

◆看護士さんが1日1回、容体を確認に来てくれる(たん吸引なども)

◆看護士さんが医師の往診が必要と判断したら、医師に連携してすぐ来てもらう。

◆上記の訪問以外にも、家族からの要請があれば、介護士、看護師、医師それぞれ駆けつける。

 

そこには、父が家で気持ちよく過ごすための万全な介護計画がありました。そして、私たち家族のケアも必要と書かれている。

皆さんは父を囲みつつ、熱心にこの計画書を読み、更に話し合って内容を詰めてくれている。さっきまで1人で全部引き受けなきゃいけないような気持ちでいた私は、なんて頼もしいチームなんだろう。

この人達となら、私は頑張れると思う。

こんなことならもっと早く父を退院させてあげればよかった…と思いました。

 

■頼もしいM病院チーム
今回訪問してくれた往診医師・訪問看護士・訪問介護士・会計事務員さん。
この人たちはみんな1つの病院(M病院)の人たちです。
O病院と同じく総合病院ですが、それとは別に定期巡回サービスを設けています。

家で看取りたいというニーズに応えて全てを「訪問」で対応してくれるのです。

特にこの病院は医療系と介護系とそれを繋ぐ会計事務が1つのチームになっているので、1人の患者の状態を全員で連携してくれて頼もしいと思いました。

 

※ちなみに怒りの電話をかけて来たM病院の事務と名乗る方はあの電話以来で、

訪問してくれた事務の方ではありません。

 

つづく。

前回からの続きです。

 

父が家で快適に過ごせるように、ケアマネージャーさんに相談しながら、床擦れ防止用の介護ベットをリビングに設置したり、トイレに手すりを設置したり、今までよりも厚手のオムツや防水シートを買って備えました。

そして終末医療は訪問専用の医師、看護師、介護士の方々にお願いしました。

父の退院日にケアマネージャーさんとその方々と初顔合わせの予定です。

 

退院の前日、病院側のケアマネージャーさんから連絡がありました。

父の呼吸が苦しく、酸素吸入を始めたが、意識はしっかりしているし話もできる状態。

酸素量も2リットルでごく少量だとのこと。

 

それを受けて移動時に呼吸が苦しくならないように酸素屋さんも手配して、

万全の準備を整えていきました。

 

そしてやっと迎えた退院日だったんだけれど…

父はあっという間に逝ってしまうのでした。

 

 

■O病院での対応

11時に病院に迎えに行くと、看護士さんが父を待つように言うだけで何の説明もありません。てっきり父のこれからについて説明があると思ったので、かなり長い時間を待たされて不安でした。

私たちは父に20日も会っていません。

今、どんな状態なのか?

昨日のケアマネージャーさんの連絡以外に何も分からないのです。

 

たまらずこちらから上記のことを看護婦さんに聞きましたが、

「え?担当医師からの説明は先日聞いてますよね?」と。

医師からの説明は10日も前に余命宣告されただけだし、本日は姿も見せません。

「そうじゃなくて、今日が退院で、もうこの後は家族が看るわけで。今日の様子とか…」と食い下がってみても、

「え、今朝までは元気でしたけど?」と、きょとんとした顔で答えるだけでした。

 

結局、はいどうぞとばかりに父を引き渡されるだけで、

看護婦からも医師からも最後まで何の説明もありませんでした。

家族が末期がん患者を自宅に引き取るうえで、

引き継ぎとか心得とか、現在の状態の説明とか何も無いのでしょうか。

 

前々からずっと感じていましたが、

なんなんだこの病院…プンプン

と思いました。

 

やがて父がストレッチャーで運ばれて来ると、大変な事態でした。

呼びかけても反応は無く、目も半開きで上を向いたまま。

呼吸は苦しそうで酸素量は4リットルに増えているとのこと。

父と一緒に1階出口まで来てくれたのは昨日電話をくれた、病院付属のケアマネージャーさんだけでした。

もう聞ける人がケアマネージャーさんしかいませんでした。

 

「ケアマネージャーさんの経験からで構いません。父のこの状態は、後どのくらいだと思いますか」

「数日…もしかしたら今日かもしれません」

「分かりました。」

 

これが退院日の、この病院での唯一のやり取り。

なぜ、医師や看護士とこういった話ができなかったのかと今も思います。

父は手配していた救急車型の移送タクシーで家まで搬送してもらいましたが、

本当の戦いはここからでした。

 

私は県外の妹にすぐ来るよう連絡。

父担当のケアマネージャーさんに連絡し、

父の状態が思ったよりずっと深刻であることを報告。

ケアマネージャーさんは自宅に訪問看護士さんを派遣すると言ってくれました。

 

移送中、父の容体はどんどん悪化していく。

家に着く頃には肩を使って全身で呼吸している状態。

酸素量は8リットルでも足りない。

同時に到着した酸素屋さんの機械では、酸素を5リットルしか生成できないらしく、急遽もう1台取りに行ってもらうことに。

その間は移送タクシーに積んでいる予備の酸素ボンベを使って呼吸を繋ぐしかない。

酸素ボンベは40分で切れるし、提供してくれた数本は残量がそれぞれ違うので、40分持つかは分からない。残量を目視で確認して頃合いを見ないといけません。

そして酸素ボンベを取り換えるという未知の作業を私がやらなくてはなりませんでした。

もちろん交換方法も丁寧に教えてくれましたけど、私はこの緊急事態を受け止められないままにやるしかありませんでした。

(母もこの状態にもかかわらず父が好きだった魚を焼いて運んでくるし)

 

その後、酸素屋さんが来て、10リットルの酸素を確保出来るようになると、

父は一番苦しい状態からは脱した様子でした。

 

なにわともあれ、父はやっと我が家に帰ってきました。

 

つづく。

 

 

※病院には病院専用のケアマネージャーがいます。

それとは別に生活全般を担当してくれる、父担当のケアマネージャーさんがいます。

入退院を繰り返すようになると、この病院側のケアマネさんが、父担当のケアマネさんといろいろ連携を取ってくれます。