こんばんわ。
うん、こんばんわ。
今日は
ちょとマジメな話でいこかな?
っと……
前回が“お尻”について。
だったので………笑
って、わけではないけどね(・∀・)ふふふ
俺には、子供の頃、
よく見る夢?のようなものが、あったんね。
普段夢なんて見ても、
朝の記憶で直ぐにかき消されて忘れてしまうのに。
今の今まで覚えていられる夢が、
3つだけある。
今日はその3つの内、1つを
書き記したいと思います。はい。←なぜ敬語?笑
blogのプロフィールにも書いたけど。
俺には、最近とっても興味をもった理論があるんよ。
それは、
“水槽の中の脳”
って言いますです。←なぜに敬語!?笑
※マジメな話を書くと敬語になります。。。
学術的には横文字なので、
俺には書けないけど、、日本では、
“水槽の脳”とか、
“水槽の中の脳”って、
書かれ、、ます。←ん゛ー敬語!!ふふふ。もう、そこは触れんでいい?笑
どんな理論かと言うと……
※以下、ネットから引用↓
ーーーーーーーーーーーーーーー
マニュエル・カント
カントによると、我々が見ている世界は、生のデータの寄せ集めではなく、生まれつき備わった鋳型で加工されたもの(=表象)にすぎないという。
そのため、“本当の世界(物自体)”を我々が知ることはできない。だが、知ることはできないが“本当の世界”は存在するとカントは言う。
なぜなら、未加工の生データがなければ加工もできないからだ。
誤解を恐れずにいえば、我々が普段見ている現実と“本当の現実”の間にはズレがあるということだろう。このように、「シミュレーション仮説」と同型の議論がカント哲学でも展開されている。
■現実は1つしかない!
カント哲学をイメージしやすくモデル化したものが、パトナムの「水槽の中の脳」だと考えることもできる。しかし、その帰結は両者で少々異なる。カントは“本当の世界”の存在を肯定したが、パトナムは「水槽の中の脳を見ることはできない」と考える。どういうことだろうか?
我々の現実が全てコンピュータによるシミュレーションであるとしたら、たとえ「私の脳を見つけたぞ!これが私の現実だ!」と言ったところで、それは「シミュレーション」の中での発言であることをどこまでいっても否定し切れない。つまり、“仮想現実”と“本物の現実”を分けることはできないと…
ーーーーーーーーーーーーーーー
………つづく。
※あ!?この解説がね。続くんだけど。
例えば、今。
俺が、現実として過ごしている日々が、
実はコンピューターによって創られた(仮想)世界だとしたら。。
その世界の中で生きる俺や、周りの人、家族や、友達。そして、そこから派生する、やり取りや、考え、意志、全てのことが、
コンピューターの創りあげた、、
仮想の中の世界だとしたら?
という、ある一つの説なのね。
※間違ってたらすんません。。これ、マジメな話。学者さん、哲学者さんがいたら。俺に解説して下さい。
俺が。子供の頃よく見た夢の1つが、
考え方は違えど、この説に裏付けられるようなものだったんだ。
ふとした時に、
その夢を思い出しては、
子供の頃も、高校生の頃も、近しい存在の人(家族や、彼女)へ、説明を試みた。
でも、俺の持つ言語能力と説明力では理解してもらうまでには、至らなかった。
それを、
視点は違えど、立証していたこの説が、俺には、今まで説明することすらはばかれていた、一つの答えを導いてくれたようで嬉しかった。
視点が違う。
と、書いたのには、理由があって。
俺の見た、その夢?
には、コンピューターも、水槽も出てこない。からね。
そゆ意味でも視点は違う。
漠然としていて、伝えられるか定かではないけど。
水槽の中の脳という説と、出会うことで、少し俺自身が見ていた夢の説明が、出来そうなので、書き記してみよっかな。。。
たぶん、そこはね、、
宇宙空間のようなものだと想う。
左右どっちを見ても、
上下どっちを見ても、
真っ暗闇の中。
その真っ暗闇の中を、
数えられないほどの、“何かが”、
同じ方向(俺の場合、上へ、上へと流れる感じ)に向かって流れている。
そんな、映像。
そして。
その流れを漠然と眺めている主観の俺は、
その数え切れない何かの一つを、自分だと、認識する。
無機質に流れてゆく、“それ”を俺だと、認識するのは、さほど時間はかからない。
“それ”は、姿形、意志はもってなくて。
数え切れないほど“それ”ら、は流れているのに、その一つを、何となく、俺だと、認識出来るの。
ほんと、漠然とだけど、
不思議と。
何の違和感もなく。
たくさんの、その中で、
俺が、いる。、って、認識出来るの。
そして、
“それ”は、“俺”なんだけど、
決して俺ではないの。
俺の姿形、意志を持ってるわけでなく、
ほんと無機質に暗闇を流れるだけの物質。
姿形、意志を持つ主観の俺は、
その無機質に、流れてく俺を眺めつつ。
言いようのない、
恐怖と、虚無感、何か、すごくすごく寂しい気持ち。
を感じる。
同時に、
第三者として、眺めている主観の俺は、
姿形があり、意志を持つことの出来ることへの喜び、安堵。
を感じてるの。
そんな、複雑な感情の中で、
得体の知れない無機質に流れてく俺を
ただ、だまって眺め続けている。という
そういう、夢。
水槽の中の脳
とは。視点が、違うよね?
けど、
無機質に流れるだけの俺が、
“本当の”世界の俺。だとすれば。
姿形、意志を持ち、ここに生きてる俺は
ほんの一瞬の、
仮想空間で作り上げられた
何か?なのかも知れない。
子供の頃は、
この夢のようなものを見た後は
恐怖と。虚無感。
で、一杯だったけど。
今は、
今の俺が、仮に
“創られた物”=“仮想空間で創りあげられた、何か”だったとしても
俺という、
姿形をして、
俺という、
自分の意志を持つ
ことが出来て、
幸せだと。
胸を張って言える。
。。
っとさ(*´ー`*)
ふふふ。
綺麗に纏めるつもり一つもないんだけどね。
俺の信念として、あるように
自分の意志を
何よりも大切にするのは、
こういう夢?が、一つの起源として、
存在するからなのかな。笑
はー、書いてみると
頭で整理するよりも、具現化するね。笑
正直…。
死んだ後の世界なんてわからんし
考えない。
輪廻転生も
あまりわからない。
けど、
だけどー!!
今を大切に、
happyに、いれたら。
それは、俺の“意志”として。
意志を持てる、この、たった数十年だけ。
だとしても。
絶対に!
大切にしなきゃならない。
そういう、
ひととき。が、人生なのでは?
と思うのです。
笑
何の話??笑
だいぶ道がそれたわー(ΦωΦ)
ふふふ笑
もしも。ここまで
読んでくれた人が居たなら。
その人に
心から感謝の気持ちを。
thanks♬
お終い。
あ゛ーーー、追記;
その夢は小さい頃、何度も見た。
けど、少し大きくなると、、一度も見なくなったんよ。でも、鮮明に覚えていると自覚してる。
っと言ったものの。。
記憶は書き換えられるものだから、
時や、成長や、意志により、一部記憶を書き換えてしまっている可能性があることを
許してね。
あ。あーと、、
ここから重要
決して、頭イかれたわけではないので(゜Д゜;)悪しからず♡
気分転換に、俺のチャリンコ画像載せておこう♡
チャリンコは、これしか持っとらん( ´艸`)
ロンスケで~どこまでもぉ~

本当のお終い。
うん、こんばんわ。
今日は
ちょとマジメな話でいこかな?
っと……
前回が“お尻”について。
だったので………笑
って、わけではないけどね(・∀・)ふふふ
俺には、子供の頃、
よく見る夢?のようなものが、あったんね。
普段夢なんて見ても、
朝の記憶で直ぐにかき消されて忘れてしまうのに。
今の今まで覚えていられる夢が、
3つだけある。
今日はその3つの内、1つを
書き記したいと思います。はい。←なぜ敬語?笑
blogのプロフィールにも書いたけど。
俺には、最近とっても興味をもった理論があるんよ。
それは、
“水槽の中の脳”
って言いますです。←なぜに敬語!?笑
※マジメな話を書くと敬語になります。。。
学術的には横文字なので、
俺には書けないけど、、日本では、
“水槽の脳”とか、
“水槽の中の脳”って、
書かれ、、ます。←ん゛ー敬語!!ふふふ。もう、そこは触れんでいい?笑
どんな理論かと言うと……
※以下、ネットから引用↓
ーーーーーーーーーーーーーーー
マニュエル・カント
カントによると、我々が見ている世界は、生のデータの寄せ集めではなく、生まれつき備わった鋳型で加工されたもの(=表象)にすぎないという。
そのため、“本当の世界(物自体)”を我々が知ることはできない。だが、知ることはできないが“本当の世界”は存在するとカントは言う。
なぜなら、未加工の生データがなければ加工もできないからだ。
誤解を恐れずにいえば、我々が普段見ている現実と“本当の現実”の間にはズレがあるということだろう。このように、「シミュレーション仮説」と同型の議論がカント哲学でも展開されている。
■現実は1つしかない!
カント哲学をイメージしやすくモデル化したものが、パトナムの「水槽の中の脳」だと考えることもできる。しかし、その帰結は両者で少々異なる。カントは“本当の世界”の存在を肯定したが、パトナムは「水槽の中の脳を見ることはできない」と考える。どういうことだろうか?
我々の現実が全てコンピュータによるシミュレーションであるとしたら、たとえ「私の脳を見つけたぞ!これが私の現実だ!」と言ったところで、それは「シミュレーション」の中での発言であることをどこまでいっても否定し切れない。つまり、“仮想現実”と“本物の現実”を分けることはできないと…
ーーーーーーーーーーーーーーー
………つづく。
※あ!?この解説がね。続くんだけど。
例えば、今。
俺が、現実として過ごしている日々が、
実はコンピューターによって創られた(仮想)世界だとしたら。。
その世界の中で生きる俺や、周りの人、家族や、友達。そして、そこから派生する、やり取りや、考え、意志、全てのことが、
コンピューターの創りあげた、、
仮想の中の世界だとしたら?
という、ある一つの説なのね。
※間違ってたらすんません。。これ、マジメな話。学者さん、哲学者さんがいたら。俺に解説して下さい。
俺が。子供の頃よく見た夢の1つが、
考え方は違えど、この説に裏付けられるようなものだったんだ。
ふとした時に、
その夢を思い出しては、
子供の頃も、高校生の頃も、近しい存在の人(家族や、彼女)へ、説明を試みた。
でも、俺の持つ言語能力と説明力では理解してもらうまでには、至らなかった。
それを、
視点は違えど、立証していたこの説が、俺には、今まで説明することすらはばかれていた、一つの答えを導いてくれたようで嬉しかった。
視点が違う。
と、書いたのには、理由があって。
俺の見た、その夢?
には、コンピューターも、水槽も出てこない。からね。
そゆ意味でも視点は違う。
漠然としていて、伝えられるか定かではないけど。
水槽の中の脳という説と、出会うことで、少し俺自身が見ていた夢の説明が、出来そうなので、書き記してみよっかな。。。
たぶん、そこはね、、
宇宙空間のようなものだと想う。
左右どっちを見ても、
上下どっちを見ても、
真っ暗闇の中。
その真っ暗闇の中を、
数えられないほどの、“何かが”、
同じ方向(俺の場合、上へ、上へと流れる感じ)に向かって流れている。
そんな、映像。
そして。
その流れを漠然と眺めている主観の俺は、
その数え切れない何かの一つを、自分だと、認識する。
無機質に流れてゆく、“それ”を俺だと、認識するのは、さほど時間はかからない。
“それ”は、姿形、意志はもってなくて。
数え切れないほど“それ”ら、は流れているのに、その一つを、何となく、俺だと、認識出来るの。
ほんと、漠然とだけど、
不思議と。
何の違和感もなく。
たくさんの、その中で、
俺が、いる。、って、認識出来るの。
そして、
“それ”は、“俺”なんだけど、
決して俺ではないの。
俺の姿形、意志を持ってるわけでなく、
ほんと無機質に暗闇を流れるだけの物質。
姿形、意志を持つ主観の俺は、
その無機質に、流れてく俺を眺めつつ。
言いようのない、
恐怖と、虚無感、何か、すごくすごく寂しい気持ち。
を感じる。
同時に、
第三者として、眺めている主観の俺は、
姿形があり、意志を持つことの出来ることへの喜び、安堵。
を感じてるの。
そんな、複雑な感情の中で、
得体の知れない無機質に流れてく俺を
ただ、だまって眺め続けている。という
そういう、夢。
水槽の中の脳
とは。視点が、違うよね?
けど、
無機質に流れるだけの俺が、
“本当の”世界の俺。だとすれば。
姿形、意志を持ち、ここに生きてる俺は
ほんの一瞬の、
仮想空間で作り上げられた
何か?なのかも知れない。
子供の頃は、
この夢のようなものを見た後は
恐怖と。虚無感。
で、一杯だったけど。
今は、
今の俺が、仮に
“創られた物”=“仮想空間で創りあげられた、何か”だったとしても
俺という、
姿形をして、
俺という、
自分の意志を持つ
ことが出来て、
幸せだと。
胸を張って言える。
。。
っとさ(*´ー`*)
ふふふ。
綺麗に纏めるつもり一つもないんだけどね。
俺の信念として、あるように
自分の意志を
何よりも大切にするのは、
こういう夢?が、一つの起源として、
存在するからなのかな。笑
はー、書いてみると
頭で整理するよりも、具現化するね。笑
正直…。
死んだ後の世界なんてわからんし
考えない。
輪廻転生も
あまりわからない。
けど、
だけどー!!
今を大切に、
happyに、いれたら。
それは、俺の“意志”として。
意志を持てる、この、たった数十年だけ。
だとしても。
絶対に!
大切にしなきゃならない。
そういう、
ひととき。が、人生なのでは?
と思うのです。
笑
何の話??笑
だいぶ道がそれたわー(ΦωΦ)
ふふふ笑
もしも。ここまで
読んでくれた人が居たなら。
その人に
心から感謝の気持ちを。
thanks♬
お終い。
あ゛ーーー、追記;
その夢は小さい頃、何度も見た。
けど、少し大きくなると、、一度も見なくなったんよ。でも、鮮明に覚えていると自覚してる。
っと言ったものの。。
記憶は書き換えられるものだから、
時や、成長や、意志により、一部記憶を書き換えてしまっている可能性があることを
許してね。
あ。あーと、、
ここから重要
決して、頭イかれたわけではないので(゜Д゜;)悪しからず♡
気分転換に、俺のチャリンコ画像載せておこう♡
チャリンコは、これしか持っとらん( ´艸`)
ロンスケで~どこまでもぉ~

本当のお終い。