今まで見てきたものがきちんと消化されていたとしたら、どんなに楽だろう。


そう感じてしまうのは、恐らく、僕がいつもあまり噛まずに食べていた所為だと思う。

世の中の大きさに嫌気がさしてしまう事ばかり、という訳では無いのだが、考えさせられるのだ。


なにもかもを見落とさないように生きれないのであれば、そう言った努力は、区別なく淘汰される可能性を少なからず孕んでいるのではないか?という事をだ。



結局、


人はゼウスやブッダになれない、というお話し。
自分が待つより、相手を待たせる方が辛い。


そんな事を考え始めたのは、恥ずかしながら、本当に最近の話だ。





今までの僕は生粋の遅刻魔で、待ち合わせに遅れていくのは当たり前、周りの人達には「お前は遅刻キャラだ」と言われ、それに迎合し甘んじる始末。
そんな事を繰り返してきた。


説得力の欠片も無いが、しかし、僕の中で少なからず罪悪感はあったのだ。

相手を少しでも待たせないようにという気持ちのもと、待ち合わせ場所まで走ったりとかしていたのだ。


では何故、僕は遅刻していたのだろうか。
走ったり自らやきもきするくらいなら、早めに家を出れば良いだけ、ただそれだけの話だったのに。




推測だが、理由は恐らく、「勿体なかった」のだ。


それは、普通に時間通り待ち合わせ場所まで行くことが、である。


その、何とも理解し難い自分勝手で見つかりにくい我が儘を、待ち合わせに遅れていき「相手を待たせている、やべぇ!」という事に置き換え、特別な時間を見いだし快感を得ようなどと、夢見がちな事を考えていたのだ。


僕は、自分自身が今何をどう考えているかに耳を塞ぎ、刹那的な幸福に身を投じるのが大好物な人間である。

故に僕は、自分がこう思ったからこう発言しようとする能力が著しく低い。

だから、こんな矮小な思いに心奪われ、遅刻をし続けていたという事実から気づかなかった。否、目を背けていたのだ。



そんな自他共に認める怠慢野郎に、何があって、待たせるという行いに一時かもしれない区切りをつけたか。


それは、簡単に言えば、「それに気づいた、気づかされた」からだ。


自分がどれほど周りに甘え、自らを甘やかし続けてきたという事に、だ。





って…


軽い日記が書きたいんだった…




つ、次こそはっ…!
朝、つらそうな顔をして歩いてる人を見ると、元気をもらえます。


僕よりも大変な人がいるんだ。ないし、僕も頑張ろうって思えます。


勝手にこんな事考えてすいません。すいません。
好きな事を謳い続けるというのは、容易にして難解だ。

好みの話。他人に受け入れて貰えないかもね。

継続する事。それは善くも悪くも自身に際限なく影響を与える。


いや、誰も彼もが何かしらの変化を求め、また嫌い、「継続」という道を選ぶのだろう。
今日逃げたら、明日はもっと大きな勇気が必要になるぞ


この言葉はすごく深く、常に僕らの身近にあると思う

特に僕みたいなさぼり癖のある人間なら尚更身に沁みる言葉である

例えば、学校の授業。
その日サボるのは簡単だが、次の日、行くのが億劫になったり、皆がいる教室に入ることがとても恐ろしいことのように感じたりするのである

例えば、仕事。
一回サボってしまうと、次のシフトの時に上司に怒られると考えてしまい、行くのが面倒になってしまう

こういう思考に陥りやすい人の傾向として、どこか変に完璧主義で、リセットボタンがあればやり直せるのにと考えてしまう人だと思う

もちろん、この例に当てはまらない人なんてごまんといるだろうし、僕自身がそういう風に感じているというわけではない

こういう感性を持ってる人がいるのでは?という妄想ないし、ただの予想である



んー、こういう事を書きたいわけじゃないんだけどなーw

次はもっと軽いノリでいきたいw

であー