姉の容態
前回からの続きです。
2013年1月…
その当時姉は、以前に透析を受けていたクリニックの🏥系列の大きな病院に入院していました。病院食も美味しく、まるでホテルの様にキレイな病院
ですが、看護婦さんの対応は最悪…手が不自由になってしまった姉に対しても早くご飯は下げなきゃ行けないとか。香水臭いし。
言えばキリがありませんが


歩いて行ける人は、フリールームのような場所で食事をしますが姉は病室のベッドの上での食事。
食事の時の水やお茶もそこまで自分で取りに行くしかないため…(持って来てくれません)、
普段は母が夕食の時間帯に合わせて様子を見に行き飲み物も取りに行ったり、ペットボトルのお茶を買って置いていました。(昼間は行けないので)
たまに病室に優しくしてくれる人が同室の場合は
姉の分も一緒にコップや水筒に持って来てくれました


後々この時、姉な優しくしてくれた方は大学病院でまたお世話になるのですが。
この病院には膠原病内科がないので、大学病院に空きが出たら転院の予定でした。
当時の姉は、早く大学病院に移って
〇〇先生(膠原病内科)に診てもらいたいのに!!と何度も言っていました
既にこの時点で姉の手や足はほぼ壊死した状態でした…
ようやく大学病院🏥への転院日程が決まり
姉は車椅子なので介護タクシー🚕を使い
母は自分の車で向かいました。
無事転院して2週間後、急に姉の容態が急変
物凄い量の水分が体に溜まり危険な状態。
その日、母は仕事帰りに姉の様子を見に行くと
先生に呼ばれて話しを聞きました。
腹水が溜まりすぎて心臓に負担がかかり危険な状態…
病院に行った母からの急な電話📞に、私もかなり動揺をしていました。
もしかしたら危ないかもしれないから、夜みんなで顔を見に行きなさい
と言われ、旦那と娘も連れて様子を見に行きました。
大学病院へ🏥行くと、危険な状態なのですでに
ナースステーションから一番近い個室に移っていました…沢山の先生や看護師さんが出入りしている中で姉の顔を見に行くと、まるで別人に変わっていました…
あんなにガリガリだったのに腹水のせいで顔はパンパンに浮腫み見ているこっちが辛かったです
意識はもうろうとしていましたが、私は必死で
姉ちゃん、大丈夫?と何度も話しかけました。
姉自体を動かせないため、ベッドのまま体重を測ったりレントゲンを撮ったり検査や処置は全て病室で行ってくれました

この時、母にもうたぶんこの先は使えないと思うからパソコンや携帯📱は家に持って帰ろうと
言われました。
姉は病室でパソコンをいじったりしていたので。
とりあえず家に持って帰り私が保管する事に
もし何かあった時に友人や知人に知らせるため
携帯の📱電源を入れて中身を確認すると
とんでもない事実が発覚!!
次回へ続く〜