44年前のこと | ほりたんのブログ

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今から44年前、1980年のこの日は、初めて交通事故を起こした日である。

当時は、証券会社の営業マンで、会社の車もバイクも出払っていたせいで、前年の秋に買った自分のクルマで、客先に行き、支店に戻る途中、鎌倉市内の道路で、家の駐車場から飛び出してきた原付バイクとぶつかって、乗っていた女性がかなりのけがをしたのである。

脚を骨折、道路脇に置かれたH型鋼の山に顔面から突っ込んでほとんどの歯を折り、歯科治療をしようと思ったら、今度は妊娠が発覚し、6カ月入院した後に退院し、翌年早々から歯科治療、3月に無事に出産し、そこから示談交渉という時間のかかる事態になった。

入院中は、毎週1回は見舞いに行き、そんなに頻繁に来なくてもいいと言われても、一応加害者抱からとせっせと通った。

証券会社から進学塾経由で損保の代理店になって、当時の事故が90対10で、道路外からの進入車と優先道路の直進車でで、こちらの過失割合が圧倒的に低かったことを知ったが、それでもけがをしたのはあちら様ということで、間違っても上から目線はまずいと思い込んでいた。

相手の女性のお父さんはいつも怒っていて、ブレーキ痕がないとか、速度オーバーだと主張していたが、警察の現場検証でブレーキはタイヤをロックさせないように踏んだというこちらの主張(言い訳だけど)が路面に残ったタイヤ痕で認められ、「4日入院したら免停」と言われていたのが、横浜は六角橋の交通安全センターからの呼び出し状が来て、免停を覚悟していたら、呼び出し日の2日前に「来なくていい」という葉書が来て、鎌倉署の担当者に電話してみたら、「あなたの過失が低かったんだと思う」と言われて、今なら「当然」と納得するところが、何も知らない当時はとても不思議だった。

女性の歯がほとんど折れたことについては、道路わきに置かれた鉄骨が被害を助長したということで、これを無断で置いたのが建設会社を営む女性のお父さんだとわかり、、はじめは「弁護士を立ててとことんやる」と言っていたのが、自己の過失割合と鉄骨を無断で置いたことが問題になっていることもあって、頼んだ弁護士に逆に説得されて「示談交渉をしたい」という連絡が入り、保険会社の損害担当者と事故現場の自宅を訪問し、1回の交渉で示談が成立してしまった。

あれから44年、事故後に生まれて赤ちゃんも順調に成長してくれていれば、もう43歳のはずだが、元気かな?

以上、昔の話でした。

最近は証券会社時代のことをよく思い出す。

歳のせいだよね(笑)