5月25日・日曜日・ダービーデイ | ほりたんのブログ

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今日はダービーの日。

競馬をやらない人でも「一応、買っとくか」と、もったいをつけて参加する人も多いのは、ダービーと有馬記念くらいである。

わが家では、出馬表を見ながら1頭ずつ選び、再先着した馬を選んだ者に父が賞金1000円を出すというゲームに年1回だが熱狂したものである。

その年は、自分が選んだミノルが3着に入って1000円をゲット、母が選んだ1番人気のタカツバキがスタート直後に騎手が落馬して競走中止というアクシデントが記憶に残っている。

実際に競馬デビューしたのは昭和54年、証券会社に入って2年目の春のこと。

馬の見方や馬券の買い方を上司に教わるという素晴らしい労働環境下でハイセイコーの子のカツラノハイセイコが最後の直線でリンドプルバンとの長い競り合いの末に、さらに長い写真判定の末に鼻差で勝ったのが大レース初勝利である。

この時の直線でいろいろあったらしく、ダービージョッキーがそのまま騎乗停止になるという、競馬初心者にはややこしい結末だった。

その後、ミスターシービーが最後の直線で斜行を繰り返して、ダービージョッキーが騎乗停止になったりもしたが、府中の2400mで直線でいっぱいいっぱいになる馬は「距離の壁」が取りざたされ、何十年ぶりかの三冠馬のために、翌年の秋の天皇賞は府中の2400mから2000mに短縮されて、ミスターシービーはめでたく天皇賞馬になったのである。

それでも、次に出走した2400mのジャパンカップではカツラギエースにまんまと逃げきられてしまったのは仕方ないよねということか、同様に負けたのがその年の三冠馬シンボリルドルフで、そっちの方が話題になってうまく隠れたねというところだ。

当時は、今のような降着制度はなく、失格オンリーだったから、その馬の馬券を買っていた者としては結果が出るまではドキドキものだった。

採決が出た後に放映されるパトロールビデオを見ながら、「あのくらいいいじゃん」「あれで降着って厳しくない?」と賛否が飛び交っていたものだ。

まあ、いろいろあったのは横に置いといて、いいレースが見られればそれでいいよね。

出走馬たちの無事を祈りながら、テレビ観戦だ。

何を買うかって?

1頭取り消して17頭、それでもよくわからない。

わからない時には横着馬券、9月24日生まれにちなんで2-4-9のワイドBOXがいつもの買い方である。

昔は1枠に4頭ずつ入って、なんと32頭立てという通勤ラッシュみたいなレースだったから、何が来ても不思議じゃないし、人気馬が取り消した場合の残り3頭がいい迷惑なので、人気が予想されるうまを1枠1頭に収めてしまう「単枠指定」制度があって、JRAによる予想行為じゃないかと批判を浴びて枠連から馬連に移行したとか、馬連も馬単になり、さらに3連複、3連単、あげくにはWIN5まで馬券が増えた。

今から45年ほど前の思い出話でした。