わたしが、心のおもむくままに

楽しんで生きることが難しいから

変わりに、息子だけでも楽しんで生きてもらえたら

わたしも、しあわせ、、と


わたししか、わたしをしあわせにできないのに

息子を使って、わたしのしあわせを

叶えさせようとしてる。


それは、

自分中心で、楽しんだら

誰かにそのしわよせがいく、

しあわせになったら、羨ましがられて

批判される、孤独になるという思い込みから、、

だから、

しあわせを受けとる価値があると評価されるように

ずっと、誰かのために頑張ってきたけど

頑張っても、頑張り続けても

誰かを優先にしても、

ぜんぜん、自分に価値があると思えない


なぜなら、わたし優先じゃないから。


いつまでたっても、満たされないわけだふとん1ふとん2ふとん3


わたし中心で、しあわせを感じて

誰かに

批判されてもいいし、

価値がないと思われてもいいし

見放されたとしても、

孤独にはならない

何も奪われない

わたしには、わたしが、いる。


これからは、

不安になっても、手放せる

批判されたら、

そっか1つの意見ね、と事実を受け止めて

誰かが、わたしが欲しいものを手にいれてたとしても

私の欲しいものは奪われないし


わたしが、望めば叶えられる。


わたしは、わたしの欲しい、楽しい、嬉しいを

求めていい。

しあわせを叶えていい


わたしを、しあわせにしてもいい。


そう、一生をかけて

病めるときも、健やかなる時も

わたしを、愛し、励まし、敬い、慈しむことを

わたしをしあわせにすることを

ここにちかいます。