主治医は、余命宣告していた

 

家に帰れない

 

余命わずか

 

そのヒトは祈っていた

 

何をしているか聞いたら信心していた

 

生きるチカラのひとつ

 

口からごはんを食べれず高カロリー輸液をしていた

 

でも家族に頼んで食べ物を持ち込んでいた

 

噛んでは吐き出していた

 

飲み込めないと分かっていても

 

食べること=生きる、、なんだ

 

そして見てしまった

 

そのヒトの大便が食べてないヒトのものとは

 

思えないモノを

 

飲み込むことが出来てる

 

普通なら飲み込めないヒトが何か食べてたら

 

誤嚥して肺炎とか気道閉塞とかハイリスクだから

 

注意するとこだけど

 

スタッフは黙認

 

注意しても聞かないから、、余命わずかだからか、、

 

そのヒトは、冷蔵庫には食べ物がいっぱい詰まっているのを

 

見せてくれた

 

食事を出して欲しいと希望した

 

主治医に食事を出して欲しいと頼んだ

 

高カロリー輸液をしてるから

 

保険上、出せないとあっさり話は終了

 

そのヒトと一緒に諦めなかった

 

他のスタッフは誰も協力してくれなかった

 

ある先生が言っていた

 

電子カルテのナース記録ちゃんと見てると

 

作戦その1:

食べてないヒトと思えない立派な排便のこと記録した

 

作戦その2:

血液内科の回診の時に

冷蔵庫の中の食べ物を本人が先生方に見せた

 

高カロリー輸液は中止の指示になり

食事がの指示が出た

 

そのヒトの

生きるチカラと情熱が伝わったんだ

 

一緒に喜んだ

 

そのヒトは個室から大部屋に出た

 

カーテンの影からこそっと呼ばれた

 

行くとメロンが切ってお皿に用意されていて、、

 

本当は貰ってはいけない決まりがあるけど

 

一緒に食べた

とても美味しいメロン

 

そのヒトの喉の気管切開はそのまま残されていた

自分で気管切開の穴から吸引する練習をして習得していた

 

自宅へ帰る日が来た

 

病院で死期を待たずに

 

笑顔で喜びながら家に帰った

 

一緒に住む家族は大変だったと思うけど

ちょっとキツめだったけど寄り添っていた

 

私も嬉しかった

 

あの美味しいメロンは

家に帰れると喜びのメロンだった!

 

医療者は忙しすぎてるし

ハイリスクのあることは、しないのは安全に治療するために

当たり前だ

 

仕事も増えるし

 

その頃、病棟時代は

たくさんの奇跡がというか、、

物語があった

 

ナラティブベイスドメディスン(NBM)

 

医療行為は、限りなく根拠に基づいた

エビデンスベイスドメディスン

 

でもエビデンス、

正しいと信じて実施していたことが

新しいエビデンスが発表され変わる

 

例えば在宅医療の現場では新しいエビデンス知らずに

更新されずに実施されていることもある

それでも間違いではないんだきっと

 

何が正しいかはそのヒト本人がわかる事なのかもしれない

 

自分が良いと思うこと、満足すること

 

ステキすぎる生きるチカラに出会えたことに

感動と感謝を覚える

 

10年以上前、、20年近く前かな

そんなキオクがありながら

迷い道してる

 

喜ばれることがしたいけど

何がしたいのか

したいこと挑戦してるけど、

ブレてないだろうか

 

ポジティブに前向きになれる時と

不安に押し潰されそうな時もある

 

それでも自分にはポジティブ相互作用ができるという

自信を持っている