「もし、満たされていたら」と想像してみた。
人の喜びを共に喜ぶことができるだろう。
困っている人を助ける余裕ができるだろう。
人の悲しみ苦しみに寄り添うことができるだろう。
慈しむことができるだろう。
過度な承認欲求もなくなるだろう。
人を恐れることもなくなるだろう。
満たされていたら、落ち着いて余裕があって、ここでゆっくり世界を見渡すことができるだろう。
満たされるということ。
この世界の何かによって満たされるのであれば、それは必ず無くなる時が来る。
この世界は絶えず移り変わっていくものだから。
変わることなく、満たしてくれるものは何なのだろう?
それは、絶対変わることのない「在る」ということ。
何があっても変わることなく、今に気づいている意識。
言葉では限界があるけれど、いつも「在る」もの。
それだけだな、と思った。
「在る」というものが、どれだけすごいものか。
形もないし、感じることもできないし、測り知れないのだけど、でも、そこに意識を向けてみる。
そして、そのすごさを実感していく。
ありがたさを実感していく。
本当の意味で満たされるとは、揺ぎ無く変わることなく満たされるのは、ここだけだな、と思う。
いろんなものを観て、いろんな感情、思考を味わって、改めて思う。
今ここに「在る」ありがたさ。
それを私はまだ理解していない。
理解しきることはできないだろう、終わりはない。
それは幸いなこと。
終わりなく、探求し続けられる。
一生をかけても、どんなに何度生まれ変わったとしても理解しきることは出来ないだろう。
でも、理解することが目的なのではなく、ただそれが在ると知っていること、ただそこに在ること、目的が在るとするならそれが目的。目的は既に達成されている。
でも、そのすごさを知ると、ずっと観続けてしまう探求し続けてしまう、そういうものだな、とも思う。
そして、それがこの上ない喜び。