続きです。
6週に入った日がちょうど検診の日でした。
これまでのところ出血はなし。
旦那と診察に入って、胎芽が見れることを期待して診察台へ。
ドキドキしながらエコーを見てたら袋があるだけ。
前回はすでの胎芽がみれてたのであれ?という気持ちで先生の言葉を待ってました。
そうしたら
「赤ちゃん見えないねぇ、そろそろ見えてもいいはずなんだけどねぇ、袋もいびつだねぇ、ちょっと良くないねぇ」と。
またかという気持ちで涙が滲んできました。
旦那に元気な赤ちゃんを見せたかったのに、ダメかも宣言され、深刻な顔になった旦那を不憫に思って泣けてきました。
この人をお父さんにさせてあげられないのかと。
先生は追い打ちをかけるように
子宮の中で出血もしてる、このまま入院ですねと、その場で切迫流産と診断され、緊急入院となってしまいました。
この日は診察が終わったら等々力のイタリアンにお祝い兼ねて旦那とランチに行くはずだったのに。。。
わけもわからないままに、カテーテルを入れられ、病室に運ばれ、そこから一週間の入院生活が始まりました。
表に見える出血はなかったので、大事を取る為だと思うようにして、なんとか前向きに考えようと、乗り越えようという思いでひたすら安静に過ごすようにしてました。
私がかかってる病院での絶対安静というのは、ベッド上だけの生活で、寝ながら食事も歯磨きもすべてしなければなりません。
トイレもシャワーも禁止。
柔らかベッド派にとって、病院のベッドは板の上で寝てるようでほとんど熟睡できず寝不足でした。
入院は正直辛い以外のなにものでもありません。
病室のあの独特な匂いの中で食事(しかもまずい)の匂いが混じって食欲もゼロ。
隣のベッドの方は週数が進んでる方で、毎日午前、午後、夜間に赤ちゃんの心拍音を聞ける機械を装着され、心拍を聞けてたのでそれがすごく羨ましかったです。
私は2日に一回のエコーだけだったのでそうやって赤ちゃんが生きてるかどうか心音を毎日聞けるのは本当に羨ましかったです。
その装着は心音の状態とおなかの張り具合を調べるための装着だという事はあとで知りましたが、なにせ毎日不安な中でも心音を聞けてホッとできる時間が多いのは私にとっては魅力でした。
それでも幸いなことに、入院期間中に出血もなく、いままで乗り越えることができなかった6週の壁を乗り越え退院する事ができたのは嬉しかったです。
ただ退院前の診察でも胎芽は確認できましたが、心拍がまだ確認できず、胎嚢もいびつで執行猶予と言われ退院したしまつ。
とりあえず1週間後の再診で心拍を確認できることを祈るばかりでした。
帰宅してからも外出禁止の安静が言い渡されてたので基本的には毎日トイレ、シャワー、食事以外は横になってました。
旦那と実母が色々サポートしてくれた事は感謝です。
特に旦那は仕事が忙しくなる時期に突入したタイミングだったので、疲れてるだろうに一生懸命、家事をこなしてくれてたのは胸がしめつけられる思いでした。
本当に本当にありがとう。
そんな安静生活の中、
やっぱりアスピリンが効いてるのかと期待し始めたある日、トイレに行ったらピンクのおりものが。。。
あ…また。
これが最初に浮かんだ言葉でした。
二度の流産の時と全く同じ現象です。
不思議なもので三度目となると意外に冷静なんだなと思いました。
血を見てもうろたえない。
もちろんショックと心配はあるんだけど、アタフタしない自分。。。
そのあとは、出血が増えない事を祈りつつ、ひどくなったら病院に行こうと決めてひたすら安静に過ごしました。
祈りが通じたのか、8週目の再診まで出血は増えず、薄いピンクのおりもの程度でとどまっててくれてました。
覚悟半分、期待半分で診察台にあがり、ドキドキしながらエコーの画像を注視してたら、先生から「心拍見えるね、大丈夫だよ」と言われ、思わず涙が溢れてしまいました。
第一関門をクリアしたー!
よかったよー!
という喜びでいっぱいになりました。
出血の事も、特に問題ないと言われ、大喜びで家に帰り、その日初めて妊娠した喜びを噛みしめることができたそんな一日でした。
初めての8週突入。
なんだかもう未知の世界です。
6週で出血と言われたものの、外に出てくるような大出血もなく、おりものに色が付く程度、やっぱりこれはアスピリンのおかげでここまで来れたんだとしか言いようがありませんでした。
いけるんじゃないかとほんの少しの期待を持ち始めた時でした。
診察の翌日、
大出血。
そしてまた入院。
続きます。