志ん朝忌 #3
「朝太」「ハイ」「試験は明後日だろ」「ハイ」「明日、家に来な」「ハイ」真打昇進試験があった。『試験制度』落語協会は、何度もそんなことを繰り返しては廃止にしていた。幹部の都合だけだった。明くる日、師匠の家に行くと「二階へ上がんな」「ハイ」稽古部屋だった「何を演るつもりなんだ」「岸柳島を演るつもりです」「10分で出来るのか」「なんとかまとめました」「じゃあ、演ってみな」「ハイ」家に呼ばれた時から、こういうことだろうなあと思っていたし、多くは語らずに、そんな空気を作ってくれる師匠だった。二日間、良い頃合の緊張が自分の中にあった。そのままを師匠に聞いて貰った。「まあ、そんなところだろうな」そう前置きをしてから、細かい箇所の直しをしてくれた。今迄細部を直すことはなかった。あっても、扇子の持ち方のような基本的なことだったが、その日はチョット違っていた。師匠は、10分という制限時間を、こちらより確かにつかんでいた。試験は池袋演芸場で朝から開かれた。小さん師匠はじめ幹部が居並んでいたが、師匠はいなかった。自分の弟子の試験に加わることを、フェアーではないと言っていた。師匠のいない試験会場が、誇らしかった。
志ん朝忌 #2
一週間続けて茶碗を割ったことがある。勿論、わざとではなかったが、兎に角割り続けていた。今日も割るんじゃないかなあ、そう思うと割っていた。流石に、堪忍袋の緒が切れたお内儀さんが、怒鳴った。なんにも言えなかった。入門して、少し経っていた。いろんなことに、慣れてきていた。自分の油断なのは分かっていたし、夜遊びも覚えてきていた。それでも高校を出たての男の子に、小言はきつかった。思わず、不満が顔に出た。お内儀さんは、黙って二階に上がって行った。一人残された座敷に、ポツンと座っていたら、師匠がいつの間にかいた。放心状態で、入って来ても気付かなかった。お茶を一口すすると「あのなあ、カミサンの機嫌も取れないようじゃあ、お客さんを受けさせることは出来ないよ」下働きは、それだけのものだと思っていた。小言は、自分を噺家として扱ってくれていた。なにかが、吹っ切れた。
志ん朝忌
「おおい、ああ、いないのか」師匠はそう言ってお茶を飲んだ「あのう、なんでしょうか」「ああ、お前か。いいんだ」その言い回しが、とても悔しかった。「なんなんでしょうか」「丸山はいないんだろう」「ええ、お内儀さんと一緒に買い物に行ってます」「うん、だからいいんだ」「・・・」「気にしなくっていいんだ」そう言われれば、気にせずにはいられなかった。「そう睨むなよ、メシが食いたいだけだから」「作りましょうか」「いや、いいんだ。作れないだろう」『キッチン丸山』の異名を持つひとつ上の兄弟子は、素晴らしく料理が上手かった。「そんなに上手くはないですけど、作れないことはないと思います」少しこちらの顔を見ていた師匠は「・・・ホントに?」悪戯っぽくそう言った「ええ、作れます」意地だった。「じゃあ、頼むかな」早速、冷や飯を蒸し器にかけた。電子ジャーはなかった。いい加減蒸し上がった時「焼飯が食べたいんだ」師匠が言った「・・・」不図頭に浮かんだチャーハンがあった「美味いのを知ってます」言わなければよかった「じゃあ、作ってくれ」「ハイ!」お袋が作ってくれた焼飯は、時としてオカカの焼飯だった。鰹節と醤油がメシに絡んで、たまらない香りがした。「あれを作ろう」そう思った。フライパンに油を引く。メシを入れる時、蒸し上がったご飯は、かなり湿っていた。出来上がった焼飯は団子のようだった。一口食べた師匠は「旨い・・・けど、あとお前にやるよ」 その後、料理をする機会はグッと減った。
前座会
「おい、その前座会の脇に書いてあるのはなんだ!」正蔵師匠の声が、浅草の楽屋に響いた。前座会は、主に太鼓の稽古会だった。その頃、太鼓の上手下手が目立って来ていた。「○月○日前座会、撥の代金700円を持参ののこと」前座会長はそう書た。「ハイ、見ての通りです」「なにがぁぁ見ての通りなんだ」「みんなが、少しでも自分のお金を使って、撥だけでも持っていれば、稽古しなけりゃと自覚するんじゃないかと思いました」「バカ野郎!生意気なことを言うんじゃねえぇぇぇ」凄まじい勢いだった。「前座はな、金を持ってるぅぅ、訳きゃぁぁねえんだぁぁぁ」「でも師匠、このままじゃあ、どうにもなりません」そばに居た他の師匠が、取り成そうとしていた「お前ねえ、太鼓の稽古なんてのはなあ、扇子のボロを使ってするもんなんだよ・・ねえ、師匠」「喧しいぃぃぃ。おい、いくらいるんだ」「はっ?」「だからな、前座みんなに撥を持たせるには、いくらかかるんだってんだぁぁぁ」「15人くらいですから・・・」「高橋ぃぃ、出してやんな」その頃、事務所をまとめていた人の名だった。「2万円出してやんなってんだぁぁぁ」高橋さんは、渋々お金をくれた。上手くならなければ、いけなくなった。
桃花火
「時期外れじゃないの」「時期外れだから、この値段なんだよ」この値段とは言っても数百万はするらしい。四ツ谷荒木町の某店は、個人で花火を打上げる。勿論、お客さんの参加を促して会費は取るが、1万円飲み放題、食べ放題では、花火と共に貯金は消える「いいの、こういうのが好きなの」夫婦揃っての変り者はそう言い切る。多摩川の川ッ淵に、その日は2、300人が集まる。まだ明るいうちから飲み始め、食い始める。そろそろ薄暗くなってくると、何処からか太鼓の音が聞こえてくる。三味線も聞こえてくる。花火を打上げる前の演出が、お客様を飽きさせない。「助六太鼓」あり「長唄」あり「エイサー」あり「手筒花火」ありで、凝りに凝っている。いよいよ打ち上げが始まると、飲兵衛達が子供になる。暗い夜空に瞬く花火に、思わず涙することもある。各々が、自分と花火をシンクロさせているんだろう。気付くと、橋の上は物見高い人達で黒山のようだった。「よかったねえ、今年も野次馬が沢山来て」「うん、うん、」と頷きながら、店主も泣いていた。今年の打上げが、10月2日と迫って来た。




