司馬遼太郎は色紙を請われると、たびたび「物は陽の下で想え」としたためたと言う。
 そのまま受け取ればいいに違いない。とくに難しく解釈することはないのだろう。哲学者であるアランは「悲観は気分に属し、楽観は意志に属す」と残す。陽の下でなら、この悲観の感情が湧きにくい。意志によるという楽観におのずと向かう、生きる知恵か。
 知恵あるものではないけれど、少し前まで、私はどちらかというと楽観の徒。吐き出す言葉も受けるかどうか、が大きな関心事。
  
 雨が続く。
 土砂降りである。新幹線が止まっているらしい。こんな日は、「想って」はならない。きっと、ろくなことは出て来ない。
 見るに限る。
 聞くに限る。
 時間の流れに沿うに限る。

 
 鉄線の初花雨にあそぶなり(飴山 実)

 寄せてはならない想いのほうは、来週まではお預けかも。陽の下で、さて何を想うとするか。