知っている(一方的にしろ)人が亡くなるのいうのは寂しい。
 共感していたとすれば、自分の中のなにかもなくなる。でも、その人が亡くなったことに比べれば、自分の中のなくした「なにか」にはたいしたものではないとも思う。

 最近思うこと。
 親子にしろ、夫婦にしろ、兄弟にしろ、師弟にしろ、関係性を「友情」にできれば最高だということ。
 あ、これって、袖振り合った人も同じ・・・ですからブログで知り合ったみなさま、「友達登録」ってすごい!と思う。
 ありがとうです。

 であるから、息子も最近は縁の深い友達と考えるようにしている。お嫁さんは友達の友達にして友達になり、マゴッチは、「小さな友達」。

 
 いま一緒にいる人を一番大切な人だと思おう。それも、「死」という別れを通して、自分の中でそうと決めたことだ。
 たとえば、将棋センターに行き、先生と対峙しているとき、私にとって、一番大切な人はまさに先生である。新聞の集金に来た人に向かい合っているなら、この人がいまのいまは一番大切な人だ。というふうに。

 それでなにかが変わるとか、そんな期待ではない。限りがあるから・・・。

 でして、友達っていいなあ。ありがとうです。