父のことを思った。
 大声をあげるような姿を見たことがない。諭されたことはあるが、叱られた記憶がない。では、理想の父かと言えば、私の勝手な”理想”とは遠かった。本を読むということがなかった。「物語」はウソだと決めつけた。進学(進路)に関心を示さなかった。母への感謝を伝えなかった・・・。思春期の私は、そんな父が疎ましかった。
 高校一年のときタバコを吸っていたのを知られた。それも咎められなかった。
 学生運動だけはしないでくれ。父が私に精一杯で言った言葉。そうというのに、学生運動がもとで高校を中退した夫との結婚はすんなり許した。
 計算尺を教えてくれたのは父だ。工作の宿題をやってくれたのも父だ。体が弱かった私が運動会で疲れ果て、青い顔をして突っ立ていたとき、背負って帰ってくれたのも父だ。中学の修学旅行のとき、団体行動が苦手で、旅先から「イヤだ、帰りたい」とハガキを出した時、行かさなければよかったと涙したというのも父だ。
 父親というのは、割の合わない役廻りかも知れない。それが分かった頃、当の父はもういない。母を追いかけるように亡くなった父。
 愛してくれたけど、母のほうがよかったのかなあ。母は、誠に情の深い人だったが、気ままでわがままで、癇癪持ちで。それでも最優先は父だった。子供だからと言ったところで、手の届かない世界があるんだ。
 割れ鍋に綴じ蓋、なんて揶揄していたけれど、私はそういう割れた鍋と蓋に守られて大人になったわけか。アロンアルファーがあるものね。割れた箇所など、簡単に修理できるさ。
 とうさん、遅くなったけど、ありがとうね。では今夜、夢の中で。