あの人はどういう名前だったろう? しばらく考えて、ああ宮本さんという名だったと思い出した。喉のつかえがとれた。
 私が生まれて間もない頃、宮本さんに抱かれた写真がある。物心ついた頃には、いつも宮本さんにおんぶされていた。色白の小柄な人だった。
 母方の祖父が質屋と金融業をしていて、構えていた”事務所”の近くに私たち一家は暮らしていた。祖父の名義の家だ。事務所の裏には長屋風の家も建て、母の妹一家と宮本さんも住んでいた。宮本さんは、事務所の事務員だった。事務員といったところで、ほとんどが家事手伝いの有様で、赤ん坊の頃から小学生まで、ほとんど面倒をみてもらっていた。娘さんがあり、母子ふたりの生活だが、もう成人していたのではなかったか。祖母と歳が近かったように思う。
 ところで、”事務所”と書くには訳がある。祖父の仕事を嫌がった母が、務めは事務所と言いくるめたからだ。長い間私にとって、祖父と祖父を手伝っていた父の仕事は「事務所」。業種も職種も名前もなく、ただ、事務所とだけ教えられた。祖父はほとんど姿を見せなかったから、出入り自由。事務所には父もいれば母もいて、おまけに母の妹もいて、お茶を出したりするのが宮本さんで、あれが仕事場だとは、まあ時代というものだろう。

 母が祖父との縁を切り、父も勤め人となってから、事務所というのは遠のいた。祖父の持ち物だったから、家も出た。
 ある日、母が鬼のような形相をして泣いていた。あの人が、あの人が・・・。宮本さんは祖父のおめかけさんのひとりだった。言葉の意味も知らない私に、母が悔しさまぎれにそう告げた。きっと誰かに聞かされたのだ。そうとは知らずに何年も何年も宮本さんを頼っていた。
 その夜、母は私を連れて、宮本さんに会いに行った。話があるから待っていなさい。表でひとり待たされた。
 しばらくして、出てきた母が宮本さんに挨拶するように促した。ただごとではないと感じた私は、母の後ろに隠れるように「こんばんは」と言うのが精一杯。
 宮本さんは私を抱きしめようとしたけれど、母はふりきり「これきりですから」と冷たく放った。あの時のあの人の寂しそうな顔が蘇る。
 責められるべきは祖父であり、宮本さんはそんな風にしか生きて行く術がなかったのではないか。切ない話である。