「心の中で」(野村英夫)

陽を受けた果実が熟されてゆくやうに
心のなかで人生が熟されてくれるといい。
さうして街かどをゆく人達の
花のやうな姿が
それぞれの屋根の下に折り込まれる
人生のからくりと祝福とが
一つ残らず正しく読み取れてくれるといい。

さうして今まで微かだつたものの形が
教会の塔のやうに
空を切つてはつきり見えてくれるといい。

さうして淀んでゐた繰り言が
歌のやうに明るく
金のやうに重たくなつてくれるといい。



 ・・・だが、彼の詩はその時から次第に深味ある感動的なものとなつていつた。それは彼が自分の悲しみに耐へながらそこからもつと永遠的なものをとり出した為だつた。・・・人生の永遠の切実さが滲み出てゐたのではないだらうか… 「野村英夫氏の思ひ出」(遠藤周作)より




 昨日、友人と話していた。「いったい、なにがどうで、こう寂しいのだろう」。そんなこと。
 誰がいないとか、何がないとか、そんなことではなく。人って、やるせないものなんだろうね。そう結論付けるしかないような。
  
 日暮れは、寂しい、日暮れは切ない。
 明るい夏の午後だって、悲しい影を連れている。

 永遠の切実さを正面から受け取るろうとする、それを祈りにしようとする。
 これは、誠実さと呼べるもの・・・ではないだろうか。

 悲しみに、切なさに誠実であった人。