父の日だ。

 いつごろか。父は嫌いな人になった。よくある思春期の症状かもしれない。
 父は本を読まない人だった。それが理由ではないと思う。まじめに「新日本紀行」を好んでいた。「まじめに」は「好んでいた」にかかる。むろん。
 
 無理解だ。そう感じたこともある。でもそれはどうでもいいかも知れない。私も父に無理解だったし、なにをもって理解というか。わからないことには分け入ろうとしなかった、のほうが多分適当だ。
 離れて、大人になっていくことを怖がっていた、そんな気がする。そういう父の心の動きが疎ましかったのかも知れない。

 立ちはだかる、というほどの壁ではなかったが、話の接ぎ穂が見つからない、そんな感じだ。もっとも、話の口火を切ることも、取り繕ったようにしかできない。そうして思春期の頃から父は「無口」な人になった。
 思えば、鷹揚で、声を荒げることもなく、むろん手を挙げるなど論外。器用で、車好きで、足が速く、すばらしい字を書いた。酒飲みだが、ひどく酔うことも迷惑をかけることもない。一定の酒を飲んでおしまい。

 いい人そうではないか。
 いい人です。悪人などではありません。

 とはいえ自己中心的で、母に依存してばかり。微妙な心のありようというものも振り返らない人だった。そういうところが私にはさみしい人だった。
 
 
 では、おまえはどうか。
 父の子である。母の子でもある。どっちが救いようもなく、どっちで救われるというものでもなく、なんとか、適当におさまって・・・多分。

 
 そし今は、父を嫌ったのは、私のほうの事情だったのだ・・・と考えることができる。
 私が嫌った点は、なんにしろ、私が嫌いと思っただけのこと。父とは無関係だった・・・かもしれない。近くにいたから、とばっちりを受けただけ・・・そう? そうなの、かな?