亡くなった人たち、安らかでありますよう・・・に。

 でも、きっと・・・それは、違う。安らかでないはずがない。
 生きているものにさえ、平安な日があるというのだから。求めるのは私たち。求めてなお、求めるのがならいの生きる側。
 安寧であることを第一とするのは、生きるものの、これも多分はならい。
 「もういいんだよ」。そう語りかけてくれる・・・それも生きているものの内の声。



「死者たちは」


 間違えるな 

 死者たちは 私たちのことなど念頭にない
 いつまでもくどくどとかき口説き くりかえし溜息するのは 生きている私たち
 死者は残んの入道雲の塀の向こう
 私たちとはまるで無関係の者に生長し 
 生長しつづける

 たとい ときたま雲の割れ目から眩しくほほえんだにしても
 行きずりの人への行きずりの よそ行きの かろやかな挨拶
 もし 空気の辻で行き合い すれ違っても
 私たちは彼らにとって目鼻立ちのない者

 雲のむこうでは 夏は決して秋にはならない
 夏は夏のまま 無際限に夏の白熱する極みに
 雲のこちら側 ナス色の日かげで
 私たちはナタマメを薙ぎ倒す ナスを根こぎにする
 影のコオロギの コオロギのすだくのは こちら側
 むこう側は鳴きしきる見えないセミたち

 コオロギの嘆きなど 彼らにはまるで無関係
 彼らは むこう側で健康だ 輝くばかりに健康だ
 悲しんで 病んで 影になりはてるのは
 いつも私たち 生きて 後悔する者の側


              (高橋睦郎)