皆さま
こんばんは

です
(⁠.⁠ ⁠❛⁠ ⁠ᴗ⁠ ⁠❛⁠.⁠)



昨日は
82歳で亡くなった
私の父の
「翔月命日」でした

2006年11月11日()

あの日から
18年
の月日が流れました

今日は
亡き父を偲びながら
過去ブログからの
「リメイク版」になりますが
こちらでも
お読み頂けますと嬉しく思います
(ᐢᴖ ·̫ ᴖᐢ)



ここからは
リメイク版になります

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ


檸檬 
~2020年11月記~

<三島由紀夫氏と父>

今日の朝刊に載っていた

三島由紀夫

記事に思わず目がとまりました目

それは

奈良県桜井市にある
三輪山に関する記事でした
(みわさん)


三島由紀夫氏の遺作

『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)
この『三輪山』が登場するとあります
(私は読んではいませんが、、😅)

三輪山
(拝借画です)

手前に見えるのは

大和国一之宮
神社大神神社(おおみわじんじゃ)


この神社は本殿を持たず

御神体は三輪山ですお願い




三島由紀夫氏は

『大神神社』に3泊し 

この
『神聖な山』に登ったとあります。



当時の写真が載っていました。
                    (昭和41年)
(拝借しています)


私も

何度となく参拝している

馴染み深い大神神社


あの、

三島由紀夫氏も参拝されたと

知って感慨深いものがありました照れ


また
それとは別に


ひとしおの想いがあったのは


私の亡き父親と同じ
生年月日
だからですウインク


大正14年1月14日


おこがましくも 

三島由紀夫氏が

自分の父親と重なるのでした照れ



私の父親は

石川県の田舎から

十代にして大阪に出てきた

苦労人でしたが

真面目で実直な人でした


キラキラキラキラキラキラ


あまり無い写真から
見つかった1枚です〜


 若かりし日の父ですおねがい
 慰安旅行先のようです
昭和40年


上の三島由紀夫氏の写真と偶然にも
ほぼ同時期になりますね〜



一緒にしては失礼なのですが〜爆笑
互いに40代に入った頃でしょうか

 
父は

とても

無口で、真面目でした 

昔人間というか、

子煩悩ではなかったですが


ただ
私の記憶では

大きな声で叱られた事もなく

手をあげられた事も
一度もありません

温かな大きな懐で

いつも静かに

私を見守り続けてくれました



母が先に
亡くなってしまい

一人になった父


そろそろ
私が面倒をみる
準備をしていた矢先の事

76歳だった父は
脳梗塞
で倒れました 


それは

母の四十九日の
法要の最中でした

私はそのまま
喪服で
救急車に乗り込みました

約8時間の手術の後
集中治療室を経て入院となり

ふたたび自宅に帰る
もう出来ませんでした


言語障害の後遺症で
私との会話も 
その日が
最後となってしまいました


元々から頚椎を病んで
脚が不自由に
なっていましたが

更に身体の麻痺も強くなり
寝たきり状態で
病院、施設を転々とし
約6年 間
の闘病生活を送った後

穏やかに
母の元へと旅立ちました



あの
6年の日々は

私にとっては
とても幸せな事でした


介護施設でのお花見〜口笛
 


運動会も
あったね!玉入れ競争~😊



母に代わり 
大好きな父を私が看れた
嬉しい日々
照れ


父の身体に触れ
あの大きな手を握り
耳元で話しかけ
好物を口に運び

娘としてはこんな機会でも
ないと。。
出来ないことばかり

もっともっと
いて欲しかったです

父は2006年の11月
に亡くなりましたが

なんと、、

年度は違いますが

三島由紀夫氏も11月に
お亡くなりになっていました。


偶然の重なりに

改めて今日は父親を
偲んでみた朝になりました

流れ星流れ星流れ星


三島由紀夫氏と父

奇遇にも 

同じ日にこの世に生を受け

それぞれに歩んだ道は

全く違うとしても


たった一つしかない

その道のりは

どちらも
かけがえのない

尊い人生だった事に
違いはありません


父からの慈愛に
心から感謝

お願い



檸檬
米津玄師さん





  
四年前に
書いた記事でしたが 
最後までお付き合い下さり
有り難うございました
感謝
(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)


合格合格