比叡山・千日回峰行を2度行われた大阿闍梨の酒井雄哉さんが923日逝去されました。




比叡山・千日回峰行を2度 大阿闍梨の酒井さん死去

朝日新聞デジタル 924()527分配信

比叡山の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を2度達成した天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)の酒井雄哉(さかい・ゆうさい、さいは右上から下へのはらいがなし)さんが23日午後、心不全で大津市坂本本町の飯室不動堂長寿院で死去した。87歳だった。通夜は26日午後6時、葬儀は27日午後0時30分から大津市坂本6の1の17の生源寺で。喪主は弟子の藤波源信(げんしん)さん。

大阪市生まれ。旧制中学卒業後、慶応義塾商業学校に入ったが、熊本県の予科練に入隊。鹿児島県の鹿屋飛行場で特攻隊員として終戦を迎えた。戦後、事業の度重なる失敗や妻の自殺などを経て1965年に得度し、比叡山へ。

峰々を千日にわたって巡拝する千日回峰行を始め、80年に満行。この時の様子はNHK特集で放送され、反響を呼んだ。半年後に2度目の行に入り87年、60歳の高齢で達成した。記録の残る織田信長の比叡山焼き打ち後、2度の回峰行を達成したのは3人しかいない。

.朝日新聞社

(2013.9.24朝日新聞社ネット配信ニュースより)

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ニュース 社会  201392490



厳しい修行2度、常に自然体 大阿闍梨・酒井さん死去



【森本俊司】比叡山延暦寺に伝わる荒行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度にわたって満行した天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)の酒井雄哉(ゆうさい、さいは右上から下へのはらいがなし)さんが23日、87歳で亡くなった。厳しい修行を2度も満行したにもかかわらず、酒井さんは常に謙虚に自然体を強調し、仏への感謝の思いを口にしていた。

酒井さんが残した言葉大阿闍梨の酒井さん死去

 修行を始めて700日目に入ると、「堂入り」という9日間の参籠(さんろう)をする。その間は断食、断水、不眠の難行とされる。「4日目くらいから死斑が出てきて、魚のくさったようなにおいがしてきてな」と過酷さを語る一方、「青く茂って、時期が来たら葉が落ちる。また来年になったら青く茂ってくる。それを見て、ああ生命っていうのは一回でおしまいじゃないんだなあ、つながっているんだなって気づいていく。こういうのが仏様からいただく『仏智(ぶっち)』なんだな」と語った。

酒井さんは学業で落ちこぼれ、戦後に東京で経営したラーメン店が全焼。新婚間もない妻が自殺するなど様々な悩みを抱え、仏門をたたいた。そのためか、知識よりも実践の大切さを強調した。

 「勉強して知識ばかり増やすのでなくて、自分がこのくらいまでなら分かるな、と思ったら、実践していけばいいのよ。実践すれば智恵(ちえ)が出てくる。智恵が出たら、こうしてみようとか、もう少し勉強しようとか思うでしょう」

こうした人生への深い洞察力を胸にひめながらも、わかりやすく市民に語りかけるような著作で人気を博した。

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 《NHKディレクター時代にNHK特集「行~比叡山 千日回峰~」(1979年)を制作したWOWOWの和崎信哉社長の話》 サラリーマンとして落ちこぼれ、40代で修行の道に入った酒井さんは、軌跡そのものが実に人間くさかった。俗世で傍若無人にふるまってきた自分と決別して高みへと向かっていく姿は、会社員や商売の世界にも通じる普遍性があった。宗教界のエリートでは全くなかったが、宗教が我々の生活に向き合うことの少ないこの世の中において、その垣根を低くした功績は大きかったと思う。

(2013.2.24ネット配信ニュースより)

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酒井雄哉さんの主な著書(筆者選定)


「一日一生 」酒井雄哉著、朝日新聞出版、

出版年月2008年10月、

「ムダなことなどひとつもない」酒井雄哉著、

PHP研究所 出版年月2011年12月、

「がんばらなくていいんだよ」 酒井雄哉著、

PHP研究所、出版年月2013年3月。


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ご冥福をお祈り申し上げます。



流 乗人(ながれのりと)

http://www.geocities.jp/sakai8e/