父親の母親へのDVを見てきた事により
精神疾患と40歳になった今でも、闘っています。

以前、ブログに投稿した23歳までの【私】よりまだまだ辛い【過去】があったのでお話しをさせて頂きたいと思います。

ブログに不慣れな為このように時系列がバラバラになってしまい、読みづらい文章になってしまいますが、最後まで読んでいただきたいです。宜しくお願い致します。

私が小学生の頃は3階建のマンションに住んでいました。
その頃も、最低1ヵ月に1度はDVがありました。
私は『こんな辛い毎日が続くくらいなら死んでしまいたい』と思い、小学3年生の頃住んでいたマンションの3階から何度も『飛び降りて楽になりたい』と考えるようになりました。

父親の口癖は、
『誰のお陰で飯が食えているとおもってるんだ』でした。
私は、こう言われる度に

【私は好きでこの家に産まれた訳じゃない!避妊しないで気持ちいい思いをしたから私が産まれたんだろ。最後まで責任をとるのは当たり前だ!だからご飯を食べさせるのは当たり前だろ!】

と、いつも思っていました。

私が中学生2年生の時、またDVがはじまりました。

その頃、マンションにすんでいたので一部屋に兄弟3人で過ごしていました。
DVが終わると母親は子供部屋に入ってきました。

母親は涙を流しながら、
『昔から決めていたのは、あなた達が成人するまでは離婚はしない!だから、お母さんはあなた達が成人するまでは我慢するから』

と、

その言葉にいつもは泣く姿など見せなかった兄がはじめて私たちの前で涙を流しました。もちろん姉も私も。

母親は1週間に1度ほどDVを受けて辛いはずなのに、それに末っ子の私はまだ中学2年生。
私が成人するまであと、6年間も耐えるという母親の決意の言葉に何も言えませんでした。

住んでいたのがマンションという事もあり、隣近所にはDVの声や音は聞こえていた様です。

DVの次の日、『隣近所の方からの目はとても辛かった』、と母親は話していました。

勿論、その頃はDVという言葉はありませんでした。

なので、まわりからは
しょっちゅう、暴力を受けているな~

という、感覚だったんだと思います。

普段の父親はとても優しく家族思いでキャンプや、家族旅行、外食にもしょっちゅう連れていってくれるとても良い父親でした。

そして、面白い良い父親でした。

しかし、仕事で嫌な事があったり、母親がそんなつもりで言った訳ではない言葉で急にキレてしまいDVがいつもはじまるのです。

食事の時も、父親が嫌いな食材を出すとキレてテーブルに並んでいる食事をテーブルを持ち上げてぶちまけてしまうこともありました。

私はそのせいで、いれたてのお味噌汁で足を火傷したこともありました。

もちろん怖くて火傷をしたことなど言えず、一人、火傷の痛みにたえていました。

一軒家を建ててマンションから引っ越したのは私が中学3年生の時です。

ある日、また父親はまた急にキレてテーブルをひっくり返しました。

私は怖くてキッチンの炊飯器がある隅っこに逃げました。

すると、父親はご飯茶碗を持ち

『じゃまだ!』

と私の膝を蹴りました。

その頃、私は原因不明の膝痛に悩み、学校から帰ると母親に連れられ膝のマッサージに通っていました。

そういうことを、知っていたはずの父親に膝を蹴られてしまったのです。

兄弟の中で私は末っ子ということもあり、
どういう事をすると、怒られるのか。
ということをいつも観察をしていました。

そういう経験から今でも人の目を気にして行動をとってしまっています。

人の目をうかがいながら生活をするというのはとても疲れます。

同じような家庭環境で育った方の中には、人の目をうかがって生活をしてしまうという方は多いのではないでしょうか。

20年間精神疾患と闘っている私

これからも更新していきます。
今日はここまでとさせていただきます。

やはり、辛い過去を思い出しながらブログを書くというのはとても辛いです。

しかし、同じ痛みを抱えている方、その家族の方、パートナーの方に少しでもこのような心の痛みをわかって頂きたいと思っています。

これからは、わたしの病、PTSD、ADHD、鬱病、バス電車に乗ることが怖い事、などを詳しく書いていきたいと思います。

読みづらい文章だったと思いますが最後まで読んでいただきありがとうございます。