本書の存在はリリース時にメディアなどの情報で知っていたが、東野圭吾作品は映画やドラマなど映像作品で閲覧することが多く

意外にも原作小説はほとんど読んだことが無かった

昨今、ブログでの繋がりで、早急に本書を読む運びとなった

縁とはありがたいものである

Yahoo!blogの時からそう思う

京極夏彦作品と比べて、かなり読み易く

ほぼ3日で読み切ってしまった

すでに

続編?のクスノキの女神を図書館に予約してあるが間に合わなかった(貸出中です笑)


さて本編であるが

東野圭吾作品はフィクションならではの、少しばかりのオカルト的な要素が魅力的だが、

そう言った設定を遥かに飛び越えてしまう、人間と人間の心の繋がりとか絆とか想いとかが共感できる所だろう


京極夏彦作品はある意味真逆で、世の中のオカルトチックな設定は全てはマヤカシであり、この世に不思議な事など何一つないのだ、と言う事を主人公が再三、名言する


東野圭吾作品の超常現象的な設定はそれ自体は目的ではなく、物語をドラマチックにする為の舞台装置に過ぎず、手段の一つに過ぎないのだと思う


本作のラストシーンでも主人公?からその趣旨が明言される


ヤツガレの好きな、または多くの大衆から好まれる小説は一見難解に見えるが、実は答えを明言している最も分かりやすい作品なのではないか?

などと改めて感じた


ヤツガレもかつては音楽が好きで

自作の楽曲も、数えた事はないが200曲以上ある

その楽曲も楽譜にはほとんど書き起こしてはいないしヤツガレは楽譜は書けるが読めない(笑)正確には音楽を志す?ものとして必須?の学問、ソルフェージュ(楽譜を見ながら歌う、とか、耳コピで楽譜に起こすとか、楽譜を見ながら演奏するとか)できないから

基本的に自作曲を楽譜に起こしていない

マルチトラッカーで何曲かレコーディングしたが

メディアがカセットテープだったから

CDとかmp3とか現在、簡単に再生できるデータはない


そう言うレベルの人間は脳内では瞬時にいくらでも楽曲を創造できるが

なかなかそれを、楽譜や演奏データとして客観的に

外部出力する事は簡単ではない事を経験から知っているだけに、本書の内容は容易に共感できた


今となっては

高額で特別な専用のデジタルレコーディング機器がなくても、スマホやパソコンの安価で高性能なアプリケーションで、比較的簡単に再現できるのかもしれない


本書は

人または親が子に対する想い

血縁者の絆

または

血縁者でない家族の絆

赤裸々に表現している秀作だと思う

なんか久しぶりに人が死なない小説を読んだ(笑)

じゃ