絶世の美女、常盤御前を母に持ち、軍事の天才であり、源氏の御曹司である源義経。
女性にモテモテだったようです。
頼朝の追討から逃れるように、大物浦(兵庫県尼崎市)から船で四国へ向かうとき、付き従った妻妾の数は、
11人!
実際はこの倍ぐらい愛人がいたのかもしれません。
諸説があります。
さて、この11人の中に白拍子の静御前や問題となった平家の姫も含まれていたようです。
義経の妻妾で最も有名なのは、
静御前✨
義経の正妻は、頼朝の乳母の孫である
郷御前(さとごぜん)。
河越太郎重頼の娘です。
静御前とも仲が良かったとか。
卿の君のモデルなのか、平時忠の娘で義経の妻となる
蕨姫(わらびひめ)。
平時忠の姉は清盛の妻です。
時忠は「壇ノ浦の合戦」で生け捕りとなり、命乞いのため、自分の娘を義経に差し出したとか。
しかも、適齢期の娘ではなく、婚期を逃した娘の方を出したとかで、性格は良くないようですね。
時忠は「平家にあらずんば人にあらず」のセリフでも有名です。
実在したかどうか不明だけれど、『義経記』に登場する
久我大臣(こがのおおい)の姫。
この姫は和歌が得意だったようです。
『勧進帳』のモチーフである奥州くだりにも稚児姿で同行したようです。
卿の君は、和歌を詠んでいたし、平家の姫だし、実は川越太郎の娘という設定だったので、
郷御前、
蕨姫、
久我大臣の姫
を足して3で割ったような設定ですね
他にも、義経の初恋で鬼一法眼の娘、皆鶴姫、
「浄瑠璃」の元となる浄瑠璃姫などたくさんの女性とのエピソードが残っています。
女性とだけなら良いのですが、実は弁慶とデキていたという話もあり…
義経は稚児(成人僧侶の相手をする少年)だったので、そういうこともあるのかもしれません。。
写真は京都の伏見稲荷大社です。