歴代のOBの先輩方には試合の際に昼食のパンを差し入れていただいていました。
試合の昼休みに女子部員か女子マネージャーと、楽しそうに手作りのサンドイッチなどを食べている他校の学生を横目で見て、「ピクニックじゃねーぞ❗」と羨ましく思いつつ、アンパンをせわしなく食べる自分がいました。
そしてOBの先輩方が後輩の指導のため大学道場に来てくれることもありました。
その中に一年生からみて神様のような四年生も震え上がる、あるOBがみえました。自営業の定休日の決まった曜日にみえられ、その曜日になると先輩達はOBが来るのか来ないのか、いつもそわそわされていました。
はじめて私が目にしたとき、体は大きな方でしたが、子犬を連れてこられ頭は当時の流行りのパーマをあてられ優しそうな第一印象でした。
ところが稽古がはじまると、はじめの巻藁突きで、そのOBが何度か正拳で突くと、何と巻藁の板がポキリと根本から折れてしまいました。背筋が凍るとは正にあの事です。
そして・・・終わりませんでした。何と普段二時間の稽古が倍の四時間だったと記憶しています。試合に出場する三年生、四年生に特に厳しく指導されていました。
そして、さらに鬼のような伝説のOBがみえました。空手道部創部当時のOBでアメリカに渡り道場を構え、四年に一度ビザの関係で帰国する伝説のOB。つまり誰もが大学の四年間で一度は遭遇する方です。現在のアメリカの伝統空手の世界では重鎮の一人だそうです。
毎回、帰国した際の指導で相手をした主将が骨折をするという伝説の持主でした。アメリカ生活が長いため、日本語を少し忘れられ、肘を膝、膝を肘と言われるのですが、誰も突っ込めないという伝説もお持ちでした。
私が四年生の時に帰国されたのですが、OBと同期の空手道部部長の計らいで道場での指導はなく、一同ホッとした記憶があります。
しかし、歓迎コンパの席で主将が呼ばれ、飲み会の席で即興の指導がはじまりました。正直、主将じゃなくて良かったと思いました。しかし部長の言葉があったのか大事に至らず、皆胸を撫で下ろしました。
空手流派の支部長の方で、空手と共に中国武術も教えてみえる個性的な方もみえました。
大学の道場に指導にみえた際、私が呼ばれて後ろ回し蹴りを振ると、何と蛇がとぐろを巻くようにしゃがんでかわされ、すぐさま飛びあがり蛇が獲物を狙うように貫手=指先で正確に私の目を狙い寸前で止めてくれました。ジャッキー・チェンの映画で有名になった「蛇拳」でした。
他には蹴りを受け流して、後掃腿= 低い後ろ回し蹴りの足払いで軸足を払って倒し、正確に金的を攻撃する技など、試合ルールにとらわれない恐ろしい技をいくつか指導していただきました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200127/12/07996853/ea/65/j/o1080078814702995177.jpg?caw=800)
中国武術が起源となる琉球古武術のサイ
かつてブルース・リーの中国武術に憧れた私には感動ものでした。
中国武術といえば、空手道部の道場の隣に同じプレハブの建物の少林寺拳法部の道場があり、部室も隣同士ということもあり仲良くしていました。日本の少林寺拳法は、中国武術そのものではありませんが、開祖が中国武術と日本の武術を融合して創始されたと伺っています。
空手道部の基礎体力作りと基本動作の反復が中心の単調な稽古に対し、少林寺拳法部は二人で組んでの、多種多様な突き、打ち、受け、蹴り、投げ、関節技とバラエティーに富んだ稽古をしており、羨ましく思ったこともありました。
少林寺拳法部の皆さんは、学ランも着ていましたが、お揃いの黒の中国拳法着を揃えて着ており、ブルース・リーファンの私には大変カッコヨク見え、こちらも羨ましかったです。
ちなみに同級生にジャッキー・チェンのファンがおり、彼の「酔拳」の宴会芸は絶品でコンパの席で大好評でした。(つづく)