鍵が開けられる音がした。
吹き抜けになっている玄関ホールから
小夜子しか居ない静かな家中に響いた。
小夜子は、手に持っていた、スマホの隅に表示されている時刻表示をみながら、深くため息をつき、
…(ルカさんごめんなさい、旦那が帰ってきたみたいだから、また後でね)…
そう文字を打つと、送信ボタンを押しスマホを閉じた。
玄関の方から
「さよこぉ、、、酷い雨で駐車場からここまで来るのにビッショリだよ。」
と敦司の声がした。
「お帰りなさい。ほんとにいつも、会社からメールをもらって、玄関までピッタリの40分だよね、電車ならまだしもさぁ、車でよくもこう毎日同じ時間に帰ってこれるよね、一種これも特技かもよっ。」
小夜子はそう言いながらタオルを敦司に渡した。
敦司は、今朝家を出た時のセットされたままの頭に、そっと叩くようにタオルをあてて、濡れた髪の毛を丁寧に拭き出した。
そんな敦司の仕草を見て、小夜子は
「どうせ、いつも直ぐにお風呂に入るんだから、そんなに丁寧に拭かなくったって、ここで全部脱いで、そのまま浴室に行けばいいじゃない。髪の毛なんかよりもそのコートの方が高いんだから、早く脱いでっ。」
 
 何事もきっちりと几帳面な夫、淳史。
知りあった当初は、少し大雑把な性格の小夜子には、とても  真面目で誠実な人間に見えた。しかし、それがいつしか、全く融通の利かない不器用な人間に見えてきて、そして結婚して20年経った今、それがとても小夜子のイライラの原因となっている。
 淳史の父、そして兄達二人、3人とも頭皮の薄いことを淳史は気にしていて、いずれは自分も、と思っているらしく、ここ数年、髪の毛にはかなりの執着がある。小夜子より二つ歳下の41歳の淳史。同じ歳の男性と比べても白髪も探さなければ全く分からず、まだまだふさふさとして年齢よりは若く見える。知らない人にはかなり歳の離れた歳下の旦那さんと思われているようである。
 小夜子はまだ頭からタオルを離さない敦史を見て、
「そんなに大切なら早くお風呂に入って洗ってあげたらっ。」
タオルを取り上げて、コートからシャツ、ズボン、下着、と全てを剥ぎ取り
丸裸にしてしまった。
そして、淳史の前にぶら下がっているモノを引張り、
「ほらっ、いつまでもこんな所にいるから、こんなに縮んじゃって、お髪も大事だけど、
ここもまだまだ大事なんだから、、早くお風呂に入って温めてあげて。」
淳史は小夜子にされるがままに
「もうっ、全くぅ、さよこはせっかちでエッチなんだからなっ。はい、はい、キレイにしてきますから待っててください。」
そう言いながら小夜子が引っ張ったところを、淳史も引っ張りながら、浴室に入っていった。
 淳史の、少しはしゃいでいる後ろ姿を見て、小夜子は
「別に待っちゃいないわよっ、あなたが欲しいわけじゃ無いし、ただ今日がその日なだけよっ、早くコトを終わらしたいだけ、面倒くさいから、ここで簡単に済ませてもいいのに、欲しいのは赤ちゃんなんだから。」
とつぶやいた。
 キッチンへと入り、晩御飯のシチューを温めなおしていたら、リビングのテーブルの上のスマホが鳴った。小夜子のお気に入りのロックバンドのサビ部分が繰り返されている。お気に入りの人から、お気に入りの着信音。まさに今の小夜子には、先程の玄関の鍵の音なんかと違い、心ときめく音である。それは先ほどまで、やり取りをしていた流歌さんからのメッセージであった。
 
  小夜子は友達から誘われてスマホのオンラインゲームを昨年の暮れから始めた。最初は同じく職場の仲間達とやり取りをして楽しんでいたが、思っていた以上にハマってしまい、ゲーム内の友達も増えてきた。そこに、ちょっと他の人とは一風変わった文書を書く、流歌(ルカ)と名のる男性が現れた。自分の子供の話や、仕事、友達、そして日常の事など面白おかしく書いてある。
小夜子は流歌さんの書く公開型の日記にコメントをするようになり、、段々と親しくなってきていた。

 スマホを開くと、
…(今日の仕事は全て終わりました。明日は取材で朝早いのでそろそろやすみます。さよさんもまだまだ寒い日が続きますから風邪など、ひかないように!ではおやすみなさい。…)
と流歌さんからだった。
 今ではゲームから離れてラインを使うようになり、、たまに夜通しでやり取りをすることもある。
小夜子は…(はい!ありがとう。また明日。ルカさん、おやすみなさい。)…と返信をして閉じた。

 淳史の食事中、小夜子はリビングのソファーに座り、今日一日の流歌さんからのラインを読み返していた。7つも歳上なのに決してタメ口では無く、丁寧な言葉使いにはとても優しさが感じられる。本当は残しておきたいのだが、もし、夫の淳史や子供の貴明に見つかったら面倒だから、毎日この時間に読み返したらその日のうちに全て消去してしまっている。
毎回ではあるが、少しためらいながら削除のボタンを押す。
 食事を終えた淳史がキッチンのテーブルからソファーに座る小夜子の隣に座った。普段なら決して隣などに座ることなく、さっさと2階の寝室に上がってしまうのだが、今日は月に一度の肌を重ねあわせる日である。昨年から夫婦別の部屋で寝るようになり、コトを行う場所としてリビングが多くなった。もちろん子供の貴明は居ない。毎月、中旬頃になると3日間くらい高校の友達と組んでいるバンドの練習が遅くなるので、都内の叔父の家に泊まることになっている。ちょうどよく小夜子の排卵日と重なっているのだ。
 先程の玄関での小夜子の素振りに、今晩の小夜子はその気満々だと淳史は一人勘違いをし、小夜子の側にピタリと肩を寄せて来た。しかし、淳史はそれきり何もしてこない、いつもそうである。淳史からは何もしないのである。コトの主導権は最初から終わりまで小夜子にあった。小夜子は、淳史のパジャマ代わりのスエットを脱がし、そして先程玄関で縮んでいたモノを元気にすべく、顔を近づけていつも通りの作業を始めた。これが、なかなか毎回時間のかかる作業であり、コトの大半全てをここに時間を費やしてしまう。長い間EDであった淳史だが、ここ数年前から小夜子の、時間をかけての、この作業のおかげで少しずつ回復傾向にあり、なんとか小夜子の体内に入れるくらいまでになったなのである。しかし、使える時間はとても短く、小夜子の腰使いで、直ぐに終わってしまう。その間、淳史は何もしない。淳史からアクションをおこそうとすると、極度の緊張感に襲われ、道具が使い物にならなくなってしまうからである。だから小夜子は10年以上も淳史の手で身体に触れられたことが無い。
 正直、小夜子は淳史との営みにはなんの喜びなど感じてはいない。敦史に早くイッテ欲しいだけであり、そのために、決して淳史から触れてはこない胸を自ら露出し、身体を艶めかしくよじり、感じている振りをしているだけの、ほんの数分、いや数十秒の演技をするのである。

そして、この日もいつも通りに早々と終わり、敦史は一人満足したような笑顔で、小夜子に
「ありがとう。今度は上手くいくといいね。」と毎月の台詞を言って2階に上がって行った。
 小夜子は暫く裸のままソファーの上で膝をたてて仰向けになっていた。淳史のように精子の少ない夫との事後は、妊娠しやすくするために、直ぐには動かない方がよいと何年も前の産婦人科医に言われてたからである。 
首を横に向けたら、脱ぎ捨てられた下着
や部屋着が散乱していた。小夜子は、それらを見ながら心の中でつぶやいた。
「どうせ、今月も駄目にきまってる。もうそんな歳じゃないもの、それに、これから出産育児、そんな体力なんかないわ。もう諦めよっかな。」

なぜ、二人は年齢からしてもそんなに子供を欲しがっているのか、高校生の息子もいるのに。そこには、不妊に苦しんできた、このふたりにしか分からない過去があるからである。