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 1万2000年前といえば世界的には氷河期末期、日本では本格的な土器の使用がはじまる縄文時代の幕開けを迎える時期だ。そんなはるか昔に、トルコで世界最大の規模をほこる巨大な地底都市が存在したことを示唆する遺跡が発見された。

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■古代の高速道路、ヨーロッパの地下を網羅した地下ネットワーク

 今までさまざまな場所で古代の地下トンネルが見つかってきた、それは古代人が冬の寒さをしのぐためや貯蔵庫として使われたものだと見られてきたなか、考古学界を揺るがしかねない本が2009年に出版された。ドイツの考古学者ハインリッヒ・クッシュ博士の著書「Secrets Of The Underground Door To An Ancient World(原題:Tore zur Unterwelt)」によれば、トルコから地中海をぬけ、スコットランド北部にかけて数千というトンネルの遺跡が見つかっており、なんと博士によると巨大地下トンネル群は元々ヨーロッパ各地の主要都市を網の目のように結んでいたというのだ。

 およそ1万2000年前にヨーロッパ全土をまたぐネットワークがすでに存在していたというのである。巨大トンネル網は、他民族からの攻撃や自然災害から身を守るために使われていたのではないかと専門家は推測している。

ハインリッヒ・クッシュ博士による発掘調査は依然続いているが、この考えを支持する考古学者も多い。

 またその一方で、「このような形状は現在の高速道路と同様に、人々が安全に移動するという観点からみても非常に優れた作りをしている。1万2000年前という古代から現在でも使われているネットワークを取り入れていたことは、当時がいかに高い技術水準を持っていたかということを明らかにしている」と別の専門家はいう。

 1万2000年前であれば、金属器も土器もまだ知られていなかったというのが古代史の定説なだけに、今後の発掘次第では歴史が変わるかもしれないとも期待されている。

 「Secrets Of The Underground Door To An Ancient World」によれば、これら地下トンネルの遺跡は数百という新石器時代の集落の下から見つかっている。さらに現存している地下トンネルの規模から察しても、最盛期のトンネル網はさらに大規模なものだったのは間違いないと述べている。

「ドイツのバイエルン地方だけで我々は700メートル級のトンネル網を発見し、オーストリアのシュタイアーマルク州からは350メートルにわたるトンネル網を発見した。これらはかつてヨーロッパ全域に張り巡らされていた地下ネットワークの一部だと考えられる」

 さらにはトルコの遺跡においてもトンネルの跡が見つかっており、当時スコットランドからトルコまでトンネル網が伸びていたのではないかと考える専門家もいる。しかし地図を見てもこれだけ離れているエリアをカバーしていたとしては、古代人の力はまさに神秘としかいいようがない。


■教会は地下トンネルの入り口だった!?

 ハインリッヒ・クッシュ博士によれば、古代人はこれらのトンネル網を利用して、より安全にヨーロッパの各都市間を移動していたとしている。トンネルの幅は平均して70センチとそう広くはないが、いくつかの場所で休憩のためと思われる座席を備えた部屋や、貯蔵庫と考えられる部屋も見つかっているということからさまざまな工夫がなされていた可能性は高い。

 これらの発見から、今まで考えられていた以上に古代ヨーロッパ人は、複雑な構造のトンネルを作るための知識とツールを持ち合わせていたことがわかると、博士は指摘する。

 また、博士は各地に点在していた教会はこの巨大トンネル網への入り口だったのでは、と考えている。教会は異教徒からすれば恐れるべき存在であり、トンネルの存在を隠すにはうってつけだったというのだ。

 教会にはトンネルの存在を示す暗号があり、いくつかの入り口は礼拝堂に作られたとクッシュ博士は述べている。まだ世界に果てがあるのかすらわからないような時代に、現代でも通用するような知識と神という誰もが畏怖する存在を用いて地下ネットワークを作り上げたとは驚愕である。


■歴史を大きく変える巨大地底都市、ギョベクリ ・ テペ

 これらのトンネル遺跡はその数パーセントも明らかになっていないのが現状であるが、トルコのカッパドキアで見つかったギョベクリ・テペ遺跡は、放射性炭素年代測定法によって計測されたところ、今から10000~5000年前に存在した巨大地底都市の名残りだということがわかっている。

他のトンネル遺跡と比較しても保存状態がよく、ギョベクリ・テペ遺跡の謎を明らかにすれば古代ヨーロッパに張り巡らされたトンネル網の謎、当時の技術などがより詳しくわかることになるとされている。

 実は皮肉なことに、ギョベクリ・テペ遺跡の重要性がわかったのはつい最近のことで、ここに7キロのトンネルを通すプロジェクトが進められていたのだ。

すでに20億円の資金が投じられプロジェクトがスタートしていたのだが、中止を余儀なくされたデベロッパーの会長は「このような歴史的に大変意義ある重要な遺跡の保存のためなら、損失であるとは考えていません」と、トルコの主要紙に語っている。まさにトンネル同士が招いた災難というところか。

 しかしこのギョベクリ ・ テペ遺跡、考古学を根底から覆す可能性すらあると意図的にその存在を隠蔽しようとする動きもあるのだとか。ギョベクリ・テペ遺跡が神殿であったことは分かっているのだが、ストーンヘンジよりも5000年以上さかのぼるにもかかわらずより高度な技術が用いられていること、遺跡周辺において穀物栽培、家畜の飼育の痕跡が一切発掘されないことから、「農耕 → 食糧・富の蓄積 → 階級の発生 → 都市の発生 → 宗教施設の建造」という従来の文明史が示していた歴史さえ覆しかねないというのだ。

 だがこれも、地下都市が存在していたと考えればつじつまが合う話である。発掘チームのリーダーであるドイツの考古学者クラウス・シュミット博士は現地のトルコ人女性と結婚して定住し、ギョベクリ・テペ遺跡の発掘に生涯を捧げる覚悟であるが、それでもおよそ後50年はかかるとみられている。かつてギョベクリ・テペ遺跡の地下にはアリの巣のような地底都市があったとチームは考えている。

その真偽がわかるまでにはあと半世紀待たなくてはならない。