3日連続になりましたシブがき隊コレクションを引っ張り出してながめたワタクシですが・・・。
コンサートに行くと必ず買うコンサートパンフもきれいだったので写真に残しておきます。
初めて行ったのは大阪の厚生年金会館大ホールだったかなぁ。
ファイリングしたはずのチケットが捜索中なので記憶で書いてます。
84年頃、高校の時の友達と行ったのが初めてだったような・・・。ビギナーズラックで3列目という幸運だった記憶があります。
卒業アルバムみたいなシブたちのそれまでの活動の写真たちが見開きで。
このイメージ衣装、好きだなぁ~。
自筆のメッセージ。達筆のはずのモッくんはマンガ字と字体を使い分けてるとこがびっくり。
次の年の84~85年のツアーかな?
ともかく、年に2回くらいツアーがあったような記憶が・・・
で、このあたりからファンの仲間と行くようになって、関西全公演を通うようにもなりました(^^;)
これ、3人が成人した頃のツアーだったんじゃないかな。
一人一人の抱負を語る文章があったんですが、今読むと3人ともある意味、実現させたんじゃないかとも思える。
下の3行、司会業で成功してる今を考えたら上手くいったんじゃないですかね。
役者になりたい、もっと勉強したい、俳優として活躍しちゃうもんね、と語ってるけど、ちゃんとできたというか、大成功じゃないですかモッくん!
米アカデミー賞のレッドカーペットを歩いてる姿をテレビで観たとき、胸が熱くなりましたもん。
いまの大河ドラマも主役よりも主役のような立ち位置。すごいです。
自由で気ままに・・・というゆるい考えを持ちながらちゃんと芸能界でマイペースにやってるとこは当たってるんじゃないかな。
フッくんといえばおニャンコクラブに入った妹さんがいたような・・・。
脱・男の子の可愛さに向かってた頃かな。
あ、かわいいか(^^;)
5周年の頃かな。このパンフ2冊買ってた。
これの次のページが一人一人のドアップのピンナップになってたので、2冊買って、一冊ははずして壁に飾ってました
贅沢な事やってた私も二十代の前半の頃~!!
この時期、会社をやめて、学校に行ってて、コンサート代のためにアルバイトやってた事も思い出します。
デビューから2年くらいしてからの遅刻ファンなので、写真集とかも買い逃しが多いのですが、先輩ファンに薦められて古本屋をかなり探し回って見つけて買った一冊がコレ。
今だったら、ヤフオクとかで探せますが、当時はほんとに自分の足で古本屋を見つけては探しまくりましたとも。
読み物ページも多くて、3人それぞれの部屋や小さい頃の写真などの写真とかいろいろ載ってました・・・あれ?この本だったかなぁ。
20代記念の美しい写真集もあるのですが、撮り忘れたのでコレは来年の5月5日にお披露目しましょう。
ここからは本人たちから離れて、私の思い出・・・
ジャッキーの時同様、同人誌でアニパロとかのイラストとかで自分の熱い想いを表現したがるワタクシ、シブがき隊も、オススメされた相手が「バクシンガー」のコスプレ仲間だったこともあって、愛情表現本を作りまくってました(≧∇≦)
ビョーキを感染(?)させた友達はフッくんのファンだったので、ヤッくんに夢中になっちゃった私はヤッくんメインでコピー本を作りまくってました。
ジャッキー本の時同様、梅田の阪急ファイブの駸々堂書店にコピー本告知のポスターを貼らせてもらうと、追っかけをしている方から連絡をいただき、この方の横のつながりで名古屋や東京のおっかけ仲間をどんどん紹介していただきました。
その方々の中ではマンガ表現する私は珍しい方でしたが、突っ走る私。
アニパロでコミケにも定期的に出てたしね。
アニパロと共にコミケでこういう本を一緒に置いておくと、どこかにまわりまわって、めぐりめぐって、同じような活動をしている広島在住の姉妹と知り合いまして、この姉妹がまたプロ並みに上手い絵を描くので、いっしょに活動するようになりました。
自分の拙い絵柄でもがんばってたら、友が友を呼び、金沢や東京にもアニパロ描きながらシブがきファンを自認する方々につながるつながる。
しまいにはアニパロそっちのけで「シブ描き隊」として参加もしました(^^)v
応援してくれた方が、ヤッくんのイメージカラーの青、モッくんの赤を主題歌を唄ってゲストのモデルになった「ひげよさらば」のキャラクターが着てた上着を作って来てくれました。(これ、もしかしたらまだ置いてあるかも・・・)
この年末コミケでの上京の時には、ドラマデビュー作の「2年B組仙八先生」の舞台になった街の最寄り駅でもある東武鉄道の「堀切」へ友達と歩きに行きました。
この駅で記念に乗車券と別に買った切符、何年か前まで残してたけどもうなくなっちゃったかな。
日付は85年の12月28日でした。
土手の方が「桜中学の通学路かも」と、少し歩いて降りてみました。
大ヒットドラマの「金八先生」の派生作品だった「仙八先生」は本放送はスルーしてましたが、再放送で観て、先生が主役という奮闘よりも思春期の生徒たちの個性を中心に描いてたように思います。
シブがきの他にロック歌手の本田恭章もナイフを鞄に忍ばせてる問題児役で話題になりました。
生徒たちがどこかへ行こうとするときに向かうのが堀切駅。
この時、友達としみじみシーンを語り合ってたような気がします。
フッくんが実家のある川崎でブティックを始めたという「ジェミーズ」にも行ってみよう!と、寄って帰りました。
川崎といえど原宿値段だったので、タオルハンカチを買って帰りました。友達は何買ってたかなぁ?覚えてない。
このハンカチ、かなり使い倒してましたが捨てるに忍びなくてまだ残してありました(^^;)
色が抜けてるからよくわかりませんね(^^;)中央にワンコのジェミーのイラストがあるはずなのです。
別の日には友達イチ推しのモッくんの実家を見に行こう、という日に・・・
桶川出身はしょっちゅう本人たちのネタにもなってました。
で、向かいが保育園だとかいうこともラジオか何かで言ってたので保育園(幼稚園だったかな?うろおぼえ)を道を尋ねながら目指して探すことに・・・。
86年の年末だったかな。この時期「紅白歌合戦」は出場落選したので「皮肉な看板よね」と話しながら撮った思い出が。
でも、大麻所持で紅白出場辞退になった演歌歌手の枠の繰り上げで出場できたんですけどね。
早くから年賀状書いてた何人かは「さみしい年末でしたよね」って書いてた。
で、人さまの家の前で勝手に記念撮影して帰るミーハー女子になってました(^^;)
コンサート以外の情報はローソン主催のライブイベントとか、そういうのを申し込みまくってましたが、京都の円山公園の音楽堂でKBS京都主催のチャリティイベントがあって、シブがき隊のステージもあるということで、追っかけ師匠の子が八坂神社の近くに旅館を取ってくれたので、前日から京都入りして、早朝から午後まで入場行列に並ぶという根気のいることを数人でがんばりました。
それでも、前には前があるもので、開場してがんばっても2列目でした。
がんばっても絶対1列目の人の頭が入りこんじゃう。5月のGW中の陽射しのきつい午後なので、途中で最前列の子は麦わら帽子をかぶってしまうので、カメラの半分が隠れるというタイミングもあったり・・・。
今だったら何か言っちゃいそうですが、当時の私は「くすん・・・」と我慢しちゃう人でした(^^;)
特番の撮影中にバイクにまたがって高い所から転落して骨折してたんだよね~。痛々しい。
この時期、テレビのゲストに来る情報もあって、千里丘にMBSがあった頃、(鶴瓶の「突然ガバチョ」だったかと)夜遅くまで張り込んだり、関西テレビの「ノックは無用」の入り待ちだったり(日記みてると横山ノックや高島忠夫も遭遇してたはずなのに全然おぼえてないテイタラク・・・)。
ディープな事に詳しい知人がいたのも幸運だったのかも(^^)
映画の舞台挨拶とかも並びましたね~。
「月光淑女(ムーンヴィーナス)」を唄ってますね。
東京のイベントとかのは写真もいっぱい焼きましてもらいましたね~。
一番盛り上がったのは85年の大垣市民会館でのコンサート。
これは初めて2回公演のうちひとつしか取れないという人気絶頂時代だったかも。
関西から3人で行って、名古屋の友達と合流。
おっかけの友達が入ってる関東の私設ファンクラブの人たちと記念撮影したのがのこってた。
白い服着てるのが私達(白いジャケットが流行ってたけどたまたま4人とも白い服でした)。関東の人たちの方が派手だという珍しい記念写真。(私は一番左端で膨張してます)
名古屋の友達とは今も年賀状で仲はつながっています。いつか再会できる日は来るかな~?
別で紹介してもらった東京の友達は結婚を機に連絡はなくなりましたが、とても優しくしてくれたお姉さんでした。
コミケに行った時も晴海まで来て並んで会いにきてくれました。
この写真のメンバーで解隊コンサートに行って、青春の一ページにピリオドを打ちました。
自分の時間を満喫していた若かった頃の一部分でした。懐かしいなぁ~。
シブがき隊の解隊は88年・・・香港に通い出したのが87年・・・被ってますね(^^;)
ってことで私の夢中はエンドレスだったってことでした
幸せなことに、どのジャンルを好きになっても精通した友達ができたってことが熱情に加速をかけてたことですね。
絵を描く分にはかなわないくらい上手な人もいるけど、いっしょに密度の濃い幸運を求めに行けたりした思い出がたくさん残りました。
30年たっても、思い出のごちそうがあるってことで贅沢だったかもしれませんね。
でも、ワタクシ欲張りなので、まだまだこれからも楽しい思い出を作って行きたいです。
みなさん、よろしく仲良くしてくださいね。