ダメな母 | 強いぞ!ゆいちゃんマン~未分化肉腫との戦い~

強いぞ!ゆいちゃんマン~未分化肉腫との戦い~

2010年2月、生後8か月のとき、未分化肉腫という聞いたこともない病気が発覚し,1才6か月で天国へ旅立ってしまった娘の入院生活を振り返ってブログを書いています。

首すわりも、寝返りも順調だった。しいていえば、寝返りは右回りだけ、足はあんまりつっぱらない、同じくらいの子がホフク前進しだしたと聞くけど、ゆいは、クルクル回ることはできるが、前には進まなかった。というくらいで、個人差もあるしね~とあまり気にしていなかった。お得意のひ○こクラブなど見ても、なんでも個人差個人差と書いてあったし。



2009年、12月 ゆい6か月のころ、車に乗ることを急にいやがるようになった。チャイルドシートにしめつけられるのがいやなのかな??と思い、でも、私1人で出かけるときは必ず乗せないといけないし。。。

チャイルドシート嫌いな子もいるだろうと、まあこれもあまり気にはしてなかった。



2010年、1月初めに受けた7か月検診も特に問題はなかった。



1月24日くらいから夜寝なくなった。布団においたら泣くパターン。夜何度も目を覚ます。抱っこすれば泣き止むんだけど。お得意の育児雑誌などを見たらこんなことが書いてあった。



8か月くらいから夜泣きが始まる子もいる。




これだ!これに違いない!



まあ、いつかおさまるだろうと思っていた。この頃から、離乳食もあまり食べなくなった。もともと食べない方だったし、離乳食は 食べる子、食べない子って個人差が激しいとよく聞いていたから、これもあまり深くは考えてなかった。



今から思えば、これは全部病気のせいだった。どこかでも書いたように、私は、きっと。。。のはず!が多い人間だ。今まではこれでなんとかいっていた。でも、この考え方のせいで全く病気を疑うことをしなかった。いつもと違うのに、全部時期的な現象だと決めつけていた。



2月に入って夜に限らず、昼も全く寝なくなった。あと、私がいないと大泣き!ダンナもダメ。私がずっと抱っこしてないとダメになった。これでも私は、後追いというもの??とか思っていた。私が 抱っこしておけば全然泣かないしいい子だった。



こんな感じの状態が10日くらい続いて私は睡眠不足、ずっと抱っこして何もできないで限界だった。めちゃくちゃゆいにも当たっていた。「なんで寝んのん?」っていつもイライラしていた。ゆいはこのとき病気に侵され、ゆいこそが限界の状態だったのに。



このころ何回か朝起きたとき、おしめを服の上から確認したら左側が少しふくらんでるような気がしてた。左側向いてておむつがかたよったのかなと思い、お尻まで確認しなかった。





忘れもしない2010年2月13日(土)、この日は夜、ゆいと同じくらいの子がいる友達の家にご飯食べに行っていた。友達の子は元気いっぱいで、ホフク前進したり、ひざ立ちしたり。ゆいは相変わらず、ずっと私に抱っこされてた。



自宅に帰って私がお風呂に入れた。いつものようにお尻のほうを洗ってるとなにか違和感を感じた。すぐに旦那を呼んで、お尻を 確認したら、お尻左側が腫れていた。右側と比べてもだいぶ腫れていた。



これはただ事ではないと思い、このとき夜10時くらいだったから、近くにある市の休日夜間センターの小児科で見てもらうことにした。



旦那は酒飲んでたから私が運転し、旦那がゆいを抱っこした。  もちろん大泣き。私は、不安から「なんでこんなときに酒飲んどんじゃー役立たず」と旦那に暴言を吐きながらセンターへ急いだ。



センターへ着いたら、あまり患者はいなくすぐ見てくれた。その日の当番の小児科医がゆいのお尻を見てすぐに言った。




「ここでは無理。骨折してるかもしれないから、今からすぐに大きな病院に行ってください。」



も~~~(怒)一番近いからとここを選択したのが間違いだった。最初から大きい病院の救急に行けばよかったと後悔しながら車をとばした。車の中では骨折の原因を頭の中で考えてた。いつ? どこで?考えても思い当たることは全く浮かばなかった。だって、このころのゆいはいつも抱っこされてて全然動いてなかったから。



センターから一番近く、県内でも有名な大きな病院の救急に着いた。ここで必ずなにかしらわかるだろうと思っていた。