反逆性なのか、カリスマ性なのか、曲が好きだったのか、詩が好きだったのか。
僕等の時代に、確かに彼がいた。
最近じゃアホな連中が何かのCMで、
『盗んだバイクで走り出す・・・』とは如何なものかと言っていたらしい。
そんなことを言っている輩が我々と同世代だとしたら、ガッカリだ。
お前らも彼の言葉に共感し、熱くなったのではないか?
人の嗜好はそれぞれだから、そうは言い切れないか。
少なくとも俺は彼の歌を口ずさみ、カセットテープから流れる言葉を書きとめて、何度も何度も彼の言わんとしていることを理解しようとした。
ダイブして骨折したり、覚醒剤で捕まったり、どこぞの女優さんと浮名を流したり、全てがかっこいいと思ってた。
(覚醒剤はさすがに『バカかっ!』と思ったけど。その後、TVに出たのも『バカかっ!』と突っ込んだけどね)
彼が死んだ。いつもは流して見る新聞もその時だけは二度見で記事を読んだのを覚えている。
衝撃だった。26歳。
『早過ぎる』とか『不可解な』とか、ワイドショーは占拠され、必要以上の情報が聞きたくなくても聞こえてきた。
それからほぼ四半世紀。
彼がやってきた。もちろんオカルト好きではないので、現実にやってきたわけではないということはわかっている。
彼のDNAを継ぎし、彼の年齢も超えた、彼が。
どうなんだろう?
我々は彼をどう見ればいいんだろう?
投影すべきなのか、彼は彼と割り切るべきか。
紡ぎ出す声に彼を重ね合わせ、『おかえり!』と言えばいいのだろうか?、『初めまして!』と新たな才能の品定めをすればいいのだろうか?
彼のように背伸びはせず、ゆっくりと道を示してくれればいい。
大き過ぎる虚像と張り合う必要はない。
疾走し散ってしまった彼は彼。
少しずつ、牛歩のように、進めばいい。
体制に牙を剥く必要もなく、バイクを盗む必要もない。
透き通った声で、優しさを紡いでくれることを僕は願っています。