☆Bambi☆の日記帳

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昨日久しぶりにブログを書いたら

なんだか沢山書き過ぎて本題に入れず・・・笑

 

最近もやもやもやもや。

ずーっともやもやしっぱなしで、どんどん性格が悪くなっていきそうでしんどいです。

 

先月、ずっと飲んでる鬱とパニックの薬を減らしたので、そのせいもあって体調もあまり良くなくて。

減らしたからイライラするってだけではなく、今の環境がそうさせてるんだと思ってます。

 

4年前にその時もすごく久しぶりに投稿して、

そこに書いた内容。

 

そう、妊活についてです。

 

あれから結局妊活に進めないまま4年経ちました。

 

我が家の夫、すぐ仕事辞めちゃうししばらく無職のままだったりすることも何度もあって、

無職の時でも知り合いに呼んでもらった仕事はたまに行くんだけど、安定した収入がないのがずっと続いていました。

 

娘が幼稚園に通い始め、園ママや先生方に本当に救われたというか、

自分自身の気持ちも少し消化できるようになったことでかなり精神的には楽になっていましたが、

 

やっぱり安定収入がないことで不安は尽きず、喧嘩もしょっちゅうだったし、

家を出て兄夫婦の家に1ヶ月お世話になったこともあります。

 

兄にはもう別れろと言われたけれど、

それでも「絶対ちゃんと就職して幸せにするから」と何度も言う旦那をもう一度信じようと思い、

兄の家を出て自宅に戻りました。

 

でも、「戻るならもう俺はお前たちを助けられない、自分たちの力でなんとかしろ。」

と言われ、兄との縁も切れかけの状態で2年経ちました。

 

(それでも兄は、自宅に戻る時「頼むから生き抜いてくれ」とLINEをくれました)

 

その間に娘が難病を発症し、何度か入院。

支払いが厳しくて保険を解約した後だったので、入院費もかなりの痛手でしたアセアセ

(幼稚園児ということで保護者付き添い、その場合は個室にする必要がありました。)

 

本気で、旦那には「お願いだから就職して」と訴え、

一度就職はしたものの毎日毎日仕事の愚痴を聞かされ、

結局1年経たずまた退職してしまった・・・。

 

辞めたのは娘が入学する3ヶ月前。

失業保険もない、次の仕事も決まってない。

退職してからの3ヶ月、スマホで仕事を探してはいたものの、ずっと布団の中でスマホポチポチ、

それ以外はずーっと寝てるという生活で、昼間も隣の部屋で寝てる旦那にイライラが止まらず。

 

私は卒園に向けての準備、謝恩会役員もやっていたので毎日のように幼稚園へ。

帰ってきてもまだ寝てる旦那に、本気で死ねばいいのにと思っていました。

 

そんな日々の中で、妊活なんて出来るわけがなく・・・

触れるのもイヤ、同じ空気を吸うのもイヤ、旦那の存在自体がもう苦痛で仕方ないという

状態がずっと続き、気が付けば私はもう40歳になっていましいた。

 

娘の幼稚園は自由保育の園で、母親の関わりもとても多い幼稚園だったことと、

保育時間が短い幼稚園の中でもさらに時間が短い園だったため、

 

パートの面接に行っても「そんな短い時間じゃどこも雇ってくれませんよ」と言われ、

自分自身も鬱とパニックが完治していない状況で仕事と家事育児を両立する自信もなく、

自宅で出来る仕事や自分の都合をある程度優先できる仕事をやってみること数年。

 

個人事業主という形なので、収入は自分次第、人脈作りに色々出かけてはみるものの

心が疲れるばかり・・・。個人で買付販売をしたりしたけれど結局借金を抱えてしまった。。

 

こんな状態で私には妊活をする勇気も気力も残っていませんでした。

 

娘が病気をしてからは、安定はしていても感染症にかかると一気に悪化することがある病気ということで、

働きに出るという選択肢は私の中にはなくて。

 

小学校に入って働ける時間は増えたけれど、学校でインフルエンザなんかが出たら自主的に学校を休ませるという状況なので、

今も出来る事は限られています。

 

そのため現在は、一昨年取得したエステの資格を活かすために自宅サロンを始めるための準備をしていますが、

私の中では、妊活するためにもその働き方が今の私にはベストだと思っています。

 

我が家の状況を長々と書きましたが、

旦那は昨年娘の入学と同時にまた就職し、今は週3回夜のバイトにも行ってくれています。

仕事を始めると、愚痴を言いながらも残業までやって休日出勤なんかも自分だけしちゃうような人だったりします。

今の仕事もそろそろ辞めそうですが、辞めるなら次は決めてからにするとたまに面接応募したりしてるようです。

 

やっと、やっともうどうしようもない状況だと理解してくれたようで、

昨年秋に私が41歳になったこともあり、もう後がないということでほんと~にやっと!妊活を始めました。

 

41ですよ・・・笑い泣き

私たち夫婦、娘が産まれてほどなくしてからレスだったので、ほんとに自然に妊娠できるような

可能性は一切なかったわけです。なので私も体のメンテナンスにも行っていませんでした。

 

生理はずっと順調で、排卵期にはめっちゃいい感じのおりものも毎月あって。

それをずっと無駄にしてきました汗持病のせいでどんなに痩せ細っても、鬱病になっても、

生理は本当に毎月ちゃんと来てくれて、準備を整えてくれていたのに。

 

41歳になり、やっと旦那と触れ合うことも我慢できるようになり(タイミングとる時だけど笑)

妊活をスタートしてからクリニックへ行くことに。

ホルモンの検査では特に異常なしで、薬もなし。タイミングで様子をみていた1月。

陽性反応が出ました。

 

でもね、化学流産になってしまいました。

 

あぁ。もう少し早く妊活を始めていたらな・・・。

体も卵ちゃんも、もう41年物だもんね。

そう思うと、本当に何年もぐずぐずしていたことを後悔してしまいそうになります。

 

でも、そんなこといっても始まらない。

進むしかないんですよね。

 

なので、子宮鏡や卵管造影検査をして、慢性子宮内膜炎があったので抗生剤で治療。今もタイミングのみで

妊活を続けています。

 

そんな毎日を過ごしていると、やっぱりね、黒い気持ちがどんどん湧き出てくるんですよね。

 

簡単に妊娠してお花畑発言してる人や、ずっと避妊もせず妊娠に至ったことないからもう子供はいらないと

言ってた友人が不倫して離婚していきなり元旦那さんと復縁したらすぐ妊娠してポーン

その友人がグループラインで「出産予定日の翌月のライブのチケットを取ってる」って言ってたり・・・

 

別の友人は、半年くらい生理が来ないのが普通で妊娠もなかなかしないわと言ってたのに

私が娘を産んだ後に双子を妊娠して。一昨年末にもう一人産みたいなと妊活始める宣言をして翌月妊娠して、去年秋に出産。

2人産んだのに一人しか育てていない私と、いっぺんに二人産んでまた妊活してすぐ授かってもう一人産んだその子は

どんどん私を置いて行ってる気がして。

 

その子はそんな感情一切ないってわかってる。

親友で、私の苦労してきたこと全部知ってて、

チャレンジしては失敗してきたことも全部馬鹿にせずそうかそうかと聞いてくれて。

いつでも私に何かあったら聞いてくれる。

 

でもライブのチケット取ってる友人の話をしたら

「産後一か月なら行けないこともないね~」と言ったのです。

産後育児疲れで、引きこもってることもしんどくて発散したくなる気持ちは私も経験したからよくよくわかるけど、

でもなんか考えが軽い気がして・・・。

 

死産後の産後一か月、ライブなんてありえなかったな。

その経験があってからの娘の出産後は、生後一か月の娘を預けて人混みでの(ましてやコロナ騒動の今)ライブ

なんかありえなかったなって。

 

チケット取ったのはコロナ騒動の前だろうけど、

どっちにしても4月だとまだインフルやロタが流行ってもおかしくないし。

それに自分の体調もお乳の張り具合も子供の様子も、何もわからないのにチケット取るんだって。

 

あぁぁぁぁぁ黒!真っ黒!!

私ってめっちゃ嫌な奴!!!

 

そんな気分でモヤモヤ悶々しているのです。

 

はぁ~言っちゃった笑い泣き

どこにも出せない気持ち出しちゃった!

 

死産を経験してなくてたまたまこのブログ見た人は引いてますね笑い泣き

 

妊活を始めるにあたって実はあたらしくブログ開設したんだけど、死産を経験してからの妊活は

なんだか独特の感覚があって。多分妊活中の方とも理解し合えない感情があると思うし、

余計にモヤモヤしてくることもあるんだろうなと思うとなかなか書けなくて。

 

結局なーんにも書いてない笑い泣き

何ヶ月か経ったのに。

 

だからここに書きに来たのです。

 

死産後もう10年も経つのに、ここは私の居場所なんだなと思う。

 

当時同じ苦しみの中で交流させてもらっていた方はもうここにいないんだろうなと思いながらも、

自分の心の中の重りをそっと置いておく場所として、ここはずっと存在するのかなと思います。

 

もしまた見てくれている人がいたら嬉しいな。

 

そしてまたいつか、ここに妊娠記録を残せる日々が来たらいいなと思っています。

 

なので、また投稿しますねドキドキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の投稿からもう4年・・・

まだ読んでくださる方がいるのかどうかわかりませんが、なんとなく今日書きたくなってブログを開いてみました。

 

娘は現在小学1年生、4月生まれなのでもうすぐ8歳になります。

 

実は今から約2年前に、娘は難病を発症しました。

 

小さい頃から少し鼠径部がぷくっとしていたので、鼠径ヘルニアなら手術をしておいたほうがいいか、

そろそろちゃんと診てもらっておこうと思って病院へ。

 

それ自体は大きな問題ではないけれど、女の子だしこのまま大きくなっていつか出産することになった時に

いきむことによって状態が悪くなるかもしれないという可能性もあるので、近いうちに手術しておきましょうということになりました。

 

学校などの長期休みに入ると部屋がいっぱいになって手術の予約も取れなくなるということもあって、そんなに日をあけずに手術をするか

逆にしばらく経ってから手術をするか・・・。

 

結局手術の日程は病院の都合で決まったようなものだったのですが、

ちょうど入院の1週間くらい前に、娘の足にあざが出来ていることに気付きました。

 

心配性な私は、怖い病気なんじゃないかとその日から毎日娘の足を観察し、

検索しては怯えて、でもきっと大丈夫と言い聞かせながら受診のタイミングを迷っていました。

 

もう数日後に入院するからその時でいいか、それとももっと早く診てもらうべきか・・・

迷っているうちにあざも増え、普段滅多にぶつけるはずのないような太ももの外側に

かなり大きな濃い紫色のあざができました。

 

ちょうど運よく?その翌日には入院という感じだったので、入院したら必ず先生に伝えようと思い、

入院後の手術説明の時に先生に相談をしてみました。

 

「娘の足に大きなあざができていて、もしかして血が止まりにくい病気とかだったら手術も危険なんじゃないかと

気になっているのですが・・・。」と。

 

手術のための入院だったので担当医は外科の先生で、私の質問には「え?子供だしあざができることはよくあることなんじゃないの?」

くらいの感じだったんだと思うんだけど、少し困ったような表情で、

「問題ないと思いますけど、どうします?」と。

 

そんなこと言われても私にもわからないので何も言えず、とにかく明日は手術しましょうという感じでその日は終わりました。

 

初めての入院で翌日の手術を不安がっていた娘はなかなか眠れず、暗い病室のベッドの上で

持って行っていたおもちゃのネックレスを握りしめたり、幼稚園のお友だちに会いたいとぐずったり。

結局眠れたのは夜中でした。

 

やっと眠ってくれてよかったと思い私も同じベッドで眠りましたが、

朝方4時頃ふと目が覚めて娘を見ると、大量に鼻血を出していてベッドも枕も赤く染まってる!!なにが起きたの?

と慌てて起き上がり娘の体を起こし止血。

 

ティッシュで鼻をつまんでもすぐ真っ赤に染まる・・・

ティッシュを変えてまたつまんでもすぐまた真っ赤になって、

それを何度も繰り返し50分ほど経過したかな。

 

もう手は震え、不安で不安で仕方がありませんでした。

 

怖い病名ばかり頭をよぎり、明日の手術のことなんかよりも

そっちの方が心配でたまらなかった。

 

このまま手術をしたら血が止まらないんじゃないのか?

症状の出ていない鼠経ヘルニアなんて今日明日どうにかなる病気ではないから、

手術はとりあえずやめた方がいいんじゃないか?

でも手術するために入院して、準備して下さってるスタッフの皆さんには迷惑かけてしまうことになる・・・

なんて頭の中グルグルグルグル。

 

なんとか鼻血が止まってもぐっすり眠れるわけもなく、

朝が来て手術日当日になりました。

 

朝早い時間の手術だったので8時頃に先生がいらして、

「鼻血が出たんだって?もし手術やめるならあと10分くらいで決断してもらわないといけないんですけどどうします?

キャンセルになったら次いつ出来るかはなんとも言えませんけど」みたいな話をされてアセアセ

 

その頃には病院に到着していた旦那がとなりのソファでその様子を見ていたのだけど、

ベッドの上で娘を抱きしめながら、泣きそうになりながら

「どうしたらいいんやろ・・・すぐには決められないです・・・」と言う私に向かって、

「お前いつも心配し過ぎやねん!そんなん大丈夫やろ」とイラついた顔で言うのです。

 

旦那はいつもそう。

ずっと娘の様子を見ているわけでもないのに。

私は娘の様子を毎日見てきて、いつもと違うことに気付いているし、

大事な大事な娘を自分の判断で危険な目に合わせるようなことは絶対したくない。

だから迷って答えが出せないのに、先生や看護師さんの前でそんなこと言われると、

喧嘩するわけにもいかずタラー

なので精いっぱい悩んで、「手術、お願いします」と言いました。

 

そう言ったはいいけれど、もしものことがあったらどうしよう・・・

不安で不安でたまらなかった私でしたが、とにかく娘を抱きしめて、

「絶対大丈夫やから。お母さんが守るからね、心配ないよ」

と背中をさすり落ち着かせました。

 

手術室へは一緒に入って麻酔が効くまで一緒にいられたのだけれど、

 

いつも活発で明るくて、どちらかというと弱虫ではない娘なのに、

スタッフの方が気を紛らわすために準備してくれたプリキュアの映画にも一切目を向けず(楽しみにしていたのに)、

手で画面をはねのけて、顔を隠して「やめて、いやだ、いやだ」と必死で泣くのを我慢しながら抵抗している娘

を見ているのは辛くてたまらなくて、「大丈夫大丈夫」と手を握りながら私が泣いてしまっていました。

 

「いやだ」と顔を背けていた娘がスッと眠った瞬間

「眠られたのでお母さんは外でお待ちください」と言われ、

娘の手を離して出て行った時の気持ちは忘れることはできず、思い出しただけで今でも涙が出てきます。

 

手術自体はそんなに長い時間ではなかったけれど、旦那と待合スペースや病室で待っている間は

不安で仕方ありませんでした。

 

手術が終わって娘の元へ呼ばれ、まだ眠っている娘のそばでまた手を握り、

目が覚めるのを今か今かと待っていた時は、スタッフの方々の様子を見ながら娘の状態を察したりしていました。

きっと笑ってらっしゃるから大丈夫なんだと。

 

娘の目が覚め、病室に戻った頃に先生が来られて、手術は無事終わりましたと聞きました。

「手術の方は問題なく終わりました。麻酔もしっかり効いて、出血の方も止まらないというようなことはなかったです」

と穏やかに話してくださり安心したのですが、

 

「お母さんからのお話しがあったので手術前に簡単な検査をしました。それで血小板の数値が、

通常30万くらいのところ2万4000しかなかったんです。お母さんの予想されてた通りでした。

小児科の先生が詳しく説明してくれますから。手術の方は終わったので、ここからは小児科の方で診る事になります」

と言われ、

 

手術が無事終わってホッとしたばかりの私は一気にどん底に落とされたような気分でした。

 

またすぐに娘を抱きしめて、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせながらも体全身が震えて・・・

この後どんな言葉を聞かされるのか、怖くてたまりませんでした。

 

連れてきてくださった小児科の先生とバトンタッチされて、

 

「検査の結果、可能性がある病気は3つあって、その中で僕が一番可能性が高いと思ってるのが『特発性血小板減少性紫斑病』

という病気です。

 

他の二つは白血病と○○(忘れてしまいました)で、でも娘さんの場合は貧血ぽい症状はなくてとっても元気そうなので、恐らくそれは違うんじゃないかなと思ってます。」

 

と説明して下さり、さらにその先生がとっても明るくて、特発性血小板減少性紫斑病という病気について

メロンパン製造マシンと、作ったメロンパンを壊す悪者の抗体で物語を作って話してくださり、

全身震えていた私の不安がスーッと消えていったのを覚えています。

 

最悪の事を考えていた私は、その日から主治医となったその先生に救われ、

「出血しやすくて止血しにくい状態で脳出血や腹腔内での出血の危険があるから今は家に帰せない」と言われても、

ここにいたら大丈夫、前向きに頑張っていこう!という気持ちになれました。

 

結局、先生が予想した病気であることが判明し、手術のための2泊3日の入院だった予定が1週間の入院になり、

翌2月にも入院→ステロイドの点滴・内服をしていたため抵抗力が落ちていたので幼稚園1ヶ月お休みになったりもしましたが、

今は大分安定しているので普通の生活が送れています。

 

めっちゃ長くなりましたが・・・笑

 

長男を死産し、娘が無事に産まれてくれても難病になってしまって、

色んなことを経験した私なので、やっぱり妊娠・出産・育児についてはどうしても神経質になってしまうし変な執着もあるんですよね。

 

今日なぜ突然このブログを書こうと思ったのか、について。

今回は長くなっちゃったので、またタイミングがあったら(それを書きたかったんだからタイミングは作ろ笑)書きたいと思います。

 

今日はモヤっと。そんな気分だったので、私の原点?であるこの場所に戻ってきたんだと思います。

やっぱり私は、いつまで経っても「息子を失った私」なんだと感じてます。

 

ん?意味わかんない?

言葉で説明するのって難しいけど、今の私という人間を作っているのは、過去に息子を失った経験が本当に大きいということです。

 

何をするにも、その経験が顔をのぞかせて、私を苦しめる。

でももちろんその経験が私を幸せにしてくれることもあります。

 

私の経験を知っている人の前でも吐き出せず、

心の中に隠している感情を書けるのは、やっぱりここしかないんだなと。

 

コロナウイルス騒動もあって、なんだかざわざわしている私の心・・・

しばらくモヤモヤしそうな気がするなぁ笑い泣き

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に本当にご無沙汰しております(笑)。



前回の更新からもうすぐ1年。

あれからの私は、毎日薬を飲み、娘も幼稚園に通いだして少しづつ心が落ち着いてきたように思っています。

幼稚園に通いだしたからか年齢的なものなのか、娘も驚くほど落ち着き(笑)、スーパーでのお買い物もなんとかぐったりせず済ませられるようになりました。

お友達にムキ―って怒ったり爪を立てたり、そんなこともほとんどなくなり、おもちゃを譲ってあげたり仲良く遊んだりも出来るようになりました。

もちろん今でもその日の体調や気分でご機嫌ななめだとムキ―ってなっちゃうこともありますが、私が言葉で言い聞かせることが出来るようになり随分楽になりました。

以前はおもちゃを使わせてほしくて怒ってしまい、羽交い絞めで押さえつけないと手が付けられないくらいだったことも多々あったので外で他のお子様と関わることも抵抗があったのですが、今はそんなことはもうほぼなくなりました。

今思えば、2歳児だったから・・・ではなく、あの頃の娘の精神状態を乱していたのは他ならぬ私だったんじゃないかと思っています。

ごめんね・・・。



幼稚園では、沢山のお友達と毎日楽しく遊んでいるようです。

お母さま方も良い方ばかりで、特にママ友付き合いはしていないけれど、親の私も楽しく幼稚園生活を送らせていただいています。

娘が通っている園は、とにかく自由!子供の自主性を大切に!っていう園なので娘にもとっても合っていると思っています。

こんなことしちゃダメよとか、みんながこうしてるから貴方もみんなと一緒にこうしましょうとは言いません。

○○ちゃんはこうしたいのね、じゃあそうしましょう!

そんな園なんです。

それがうちの子だけにではなくもちろん他の子供達にも。

つまり、みんなでお歌の練習をしたりお遊戯会の練習をしたり運動会の練習をしたり、ってことはしません。

み~んなやりたいことをやっている。生き生きと、一生懸命?遊んでる。

だって今はこれをやりたいんだもん、今これを作ってるんだもん、って気持ちを大切にしてくれる園です。

だからお歌の発表会もお遊戯会もありません(笑)

運動会は、「よ~し、○○先生のところまでみんなで走ってみよう!」とか「この箱の中にボールを入れてみよう!」とか、その場その場で先生が声をかけてみんなでやるって感じ。

前もって練習したりしないので、子供達は「オッケー走ってみよ~」だったり「え~今は走りたくないのー」だったり。

走りたい子は走るし、走りたくない子は先生と手を繋いでちょこっと追いかけてみる。

じゃあなんだか楽しくなってきたから走っちゃおうかなーって突然ニコニコ走り出す、みたいな(笑)

みんなが揃ってからよ~いドンだよってことはしないので、子供の個性が出ていて面白いです。

親もみんな笑ってる。

「あなたも一緒に走りなさい!」って焦ってる親御さんも見かけないです。みんな「アハハ―」って。

だからって、自由過ぎて集団行動が出来ない子になるのではって心配もあるけれど、どうやら子供達は自分の想いを尊重してもらえているので、意固地になってしまうこともそれほどなく、気が向けばすごく楽しく一緒に行動できたりします。

今は3歳4歳だからそんなんでOKだと私も思っているので、園の先生方のやり方がとっても好きです。

って、年中さんや年長さんも方針は同じだけど。

でも小学生になってからうちの園の卒園生がキチンと出来ていないかというとそうでもないらしく、逆に集団で同じ行動をしたりみんなで足を揃えて行進をしたりするのが楽しいらしく笑顔で集団行動できたりするらしいです。

そんな園に通っている娘も、自分の今やりたいことを遮られることなく自由に遊ばせてくれる幼稚園が大好きで、行くのイヤだとぐずったことは一度もありません。助かります(笑)

そんな幼稚園のおかげもあり、私は以前よりは穏やかに過ごせるようになっていました。

いましたってことは、今はちょっと違うということです・・・。

なんでかっていうと。

昨年の夏ごろからかな?赤ちゃんまた産みたいなって気持ちが強くなってきました。

薬を飲み始める前は、そんなの無理無理!余裕なんてまったくないんだからそんなことしたら私はもっと辛くなっちゃうし、そんなんで二人育児なんて無理に決まってる!

って思っていました。


でも少し楽観的に物事を考えられるようになり、娘もある程度のことは自分で出来るようになってきたので、なんとかなるかもしれないと思えるようになってきたんだと思います。

秋には友人に二人目の赤ちゃんが産まれ、家族でお見舞いに行きました。

家族ぐるみでお付き合いしているので珍しく旦那もちょっとウキウキで、産院では抱っこもさせてもらって。

その子がね、娘が産まれた時の身長体重とほぼ同じで、抱っこさせてもらったら懐かしくて懐かしくて。キュー――ンとしちゃった。私も旦那も。

その日から、赤ちゃんまた産みたいって気持ちが強くなりました。

でも私は鬱の薬を飲んでる。

だからまだまだ先だなと、気持ちが高ぶりすぎないようブレーキをかけている自分もいて。

でも、去年のうちから「来年は妊娠に向けて気持ちと体を整えていこう」と思っていたのと、去年の12月に私が2年近く受けていた頸のリハビリが終了したこともあり、年が明けたらいよいよGOだと思っていました。

「そのためには鬱の薬はやめたい。体の不調のある部分は大きな問題がないか確かめておきたい。」

という思いがあって、先日から断薬、大腸カプセル検査と少しずつ行動を起こしています。

でもね、ここへきて断薬の影響が大きく、気分の落ち込みと不安、眩暈に苦しんでいる状況で・・・。

それでも子供が欲しいという気持ちは強いので、鬱が酷く悪化しているということではないんだと思う・・・。

ただ、またパニックの症状が出てきてしまうとやばいなと思っていたりするので、そこまで逆戻りしないよう慎重に過ごしたいところです。

でも、やっぱり自分ではコントロールできない事なので、眩暈がきたら床に寝そべってただ治まるのを待つのみ。

娘に向かってちょっとしたことがきっかけで怒鳴って叱ってしまえば、後で二人して抱き合い涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら「ごめんね、嫌いだから怒ってるんじゃないんだよ、大好きだよ、誰よりも大好きだよ」と気持ちを伝える。

泣いてどうしようもなくしんどくなっちゃってる時、「大丈夫だよ、守ってあげるからね」といつも抱きしめてくれる娘。

そんな風にしてしまったのは私だけれど、でも人間って弱いものなんだと知ってくれたらそれも良い勉強なのかもしれないと前向きに考えるようにして娘に甘えています。

お母さんは心も体も弱いから、しんどくなっちゃって迷惑かけてごめんね。でも、お母さんが一番大切なのはいつでもあなただからと、そのことだけはいつも伝えています。

あ、違った。「お母さんの宝物はあなたとにぃになんだよ」っでした(笑)

本当は今も気持ち悪いんだけど、でもやっぱりもう一人子供が欲しいから、なんとしてでも私は負けない。

その気持ちで次のステップへ進んでいきたいと思っています。

大腸カプセルは、実は途中で腸の曲がり角で止まってしまった可能性があって、最後まで画像が撮れていないかもなので、そこがちょっと心配ではあるのですが、その件が落ち着けば本格的にスタートしたいと思っています。

今年に入って基礎体温の測定も再開したので、ボチボチ焦らず、やってみます。

遅ればせながら、娘に弟妹を・・・。

「にぃにがお空に行っちゃって寂しいから赤ちゃんが欲しいの」とたまに泣いちゃう娘に、いつの日か大切な存在をもう一人つくってあげられたらと思っています。