☆新生活へ☆
4月から旦那っちの仕事の都合で山形へ行く事に
最初は初めて盛岡を離れる不安と
母を一人残して山形へ行ってしまう不安でいっぱいでしたが
東京の支店に。。。という話もあったので
東京よりは頻繁に帰って来られるしっ
と前向きに考えられるようになり
今は何とか前向きに頑張ろうと思えるようになりました
前向きにもなり
母と小旅行へ行ってきましたぁ
以前、旦那っちがお客様の新年会ビンゴゲームで
秋田キャッスルホテルさんの宿泊券をGET
その宿泊券を手に秋田県へ
FORUSへ行ったり
(何も買わなかったケドねっ)
イタリアン酒場で女子トークしたり
キレイなホテルで寛いだり



お風呂も広いし
窓からは公園の池が見えたりと
ゆったり休めた翌日は
比内地鶏丼を食べて
休暇村 乳頭温泉郷さんへ

こんな雪深い道を登って登って到着☆



(室内の写真はお借りしました)
温泉は二種類
田沢湖高原温泉の単純硫黄泉
乳頭温泉のナトリウム炭酸水素塩泉
肌が弱い為、硫黄泉には長湯は出来ませんでしたが
乳頭温泉で長湯して、ポカポカ体で帰宅する事が出来ました
元気もチャージしたし新生活に向けて
がんばるぞぉ~p(^-^)q

最初は初めて盛岡を離れる不安と
母を一人残して山形へ行ってしまう不安でいっぱいでしたが
東京の支店に。。。という話もあったので
東京よりは頻繁に帰って来られるしっ
と前向きに考えられるようになり
今は何とか前向きに頑張ろうと思えるようになりました

前向きにもなり
母と小旅行へ行ってきましたぁ

以前、旦那っちがお客様の新年会ビンゴゲームで
秋田キャッスルホテルさんの宿泊券をGET

その宿泊券を手に秋田県へ

FORUSへ行ったり
(何も買わなかったケドねっ)イタリアン酒場で女子トークしたり

キレイなホテルで寛いだり




お風呂も広いし

窓からは公園の池が見えたりと

ゆったり休めた翌日は

比内地鶏丼を食べて

休暇村 乳頭温泉郷さんへ

こんな雪深い道を登って登って到着☆



(室内の写真はお借りしました)
温泉は二種類

田沢湖高原温泉の単純硫黄泉

乳頭温泉のナトリウム炭酸水素塩泉

肌が弱い為、硫黄泉には長湯は出来ませんでしたが
乳頭温泉で長湯して、ポカポカ体で帰宅する事が出来ました

元気もチャージしたし新生活に向けて

がんばるぞぉ~p(^-^)q
☆一年後☆
2011年3月11日14時46分
東日本大震災発生から一年。。。
震災前には、当たり前の生活が
震災後は、当たり前と思って生活して来た事に、感謝の気持ちを持ち
沢山の人の心の温かさに、絆を感じる事が出来た一年になりました。
一年経った今だから、ブログにupしますが。。。
私は、震災後の4月7日の大きな余震の翌日の4月8日
岩手県大槌へ瓦礫処理のボランティアへ参加しました。
当日はスコップ、長靴、マスク、昼食持参となっていましたが
前日、炊飯器にお米をセットして就寝。。。
突然大きな余震によって停電っ!!
ボランティア活動も、中止なのかも分からない状況で、取り敢えず鍋でお米を炊き集合場所へ向かいました。
大きな余震の影響で、数名は参加出来なかった人達が居たものの
こんな大変な状況にもかかわらず、集合場所には40~50名程の人達が集まっていました。
瓦礫処理作業は5名1組で行われ
私は1人での参加だったので、お1人様を集めた1名足りない3名と一緒に作業する事になりました。
私のグループは男性3女性1(私)のメンバーで
一人一人が様々な思いで参加していて
50代の男性は、息子さんが自衛隊で遺体を発見する任務に、泣き言一つ言わず携わっている息子さんを誇らしく思い、父親として何もせず黙って居る事が出来なかったと言う男性。
20代の男性は、東京在中で岩手県出身の大学生。
テレビで地元の震災後の状況に、今の現状にちゃんと向き合って、生活していきたい。
と、様々な思いで参加した事を聞ききました。
瓦礫処理作業をする事になった、半壊した民家には『○○邸 更地にしてください。』と貼り紙が。。。
家主さんには会えなかったけど、この貼り紙を書いた時の気持ちを考えると複雑な思いがありました。
瓦礫処理をさせてもらった民家のお隣のご夫妻との出会いにも、日本人の強さと東北の人の温かさを感じました。
お昼の時間、砂ぼこりがヒドイから、窓も半分ないけど外よりは風も凌げるからと、ご夫妻が一生懸命キレイにしたお家で昼食を取らせてくれました。
とても素敵なご夫妻で、トイレまでは遠いからと、自宅のトイレはバケツで水を流せば使えるから使ってと言ってくれたり
ご夫妻がポリタンクに用意した、大切なお水も私達に使ってね。と声を掛けてくれたり
それだけでも有り難いのに、大切な大切な食料のカップラーメンにお湯を入れて持って来てくれ、遠慮すると、『お湯入れちゃったから遠慮しないで』と言って渡してくれました。
私達の瓦礫処理の場所は、ご夫妻の自宅では無いのに、『ありがとうねぇ』といっぱい感謝してくれたけど、私はそれ以上にお二人の心の温かさに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
いつの日か
また
大槌を訪れたいと思います。
本当に、大槌の町に訪れる事が出来、心温かいご夫妻に出会えた事感謝します。
震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈り致します。
東日本大震災発生から一年。。。
震災前には、当たり前の生活が
震災後は、当たり前と思って生活して来た事に、感謝の気持ちを持ち
沢山の人の心の温かさに、絆を感じる事が出来た一年になりました。
一年経った今だから、ブログにupしますが。。。
私は、震災後の4月7日の大きな余震の翌日の4月8日
岩手県大槌へ瓦礫処理のボランティアへ参加しました。
当日はスコップ、長靴、マスク、昼食持参となっていましたが
前日、炊飯器にお米をセットして就寝。。。
突然大きな余震によって停電っ!!
ボランティア活動も、中止なのかも分からない状況で、取り敢えず鍋でお米を炊き集合場所へ向かいました。
大きな余震の影響で、数名は参加出来なかった人達が居たものの
こんな大変な状況にもかかわらず、集合場所には40~50名程の人達が集まっていました。
瓦礫処理作業は5名1組で行われ
私は1人での参加だったので、お1人様を集めた1名足りない3名と一緒に作業する事になりました。
私のグループは男性3女性1(私)のメンバーで
一人一人が様々な思いで参加していて
50代の男性は、息子さんが自衛隊で遺体を発見する任務に、泣き言一つ言わず携わっている息子さんを誇らしく思い、父親として何もせず黙って居る事が出来なかったと言う男性。
20代の男性は、東京在中で岩手県出身の大学生。
テレビで地元の震災後の状況に、今の現状にちゃんと向き合って、生活していきたい。
と、様々な思いで参加した事を聞ききました。
瓦礫処理作業をする事になった、半壊した民家には『○○邸 更地にしてください。』と貼り紙が。。。
家主さんには会えなかったけど、この貼り紙を書いた時の気持ちを考えると複雑な思いがありました。
瓦礫処理をさせてもらった民家のお隣のご夫妻との出会いにも、日本人の強さと東北の人の温かさを感じました。
お昼の時間、砂ぼこりがヒドイから、窓も半分ないけど外よりは風も凌げるからと、ご夫妻が一生懸命キレイにしたお家で昼食を取らせてくれました。
とても素敵なご夫妻で、トイレまでは遠いからと、自宅のトイレはバケツで水を流せば使えるから使ってと言ってくれたり
ご夫妻がポリタンクに用意した、大切なお水も私達に使ってね。と声を掛けてくれたり
それだけでも有り難いのに、大切な大切な食料のカップラーメンにお湯を入れて持って来てくれ、遠慮すると、『お湯入れちゃったから遠慮しないで』と言って渡してくれました。
私達の瓦礫処理の場所は、ご夫妻の自宅では無いのに、『ありがとうねぇ』といっぱい感謝してくれたけど、私はそれ以上にお二人の心の温かさに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
いつの日か
また
大槌を訪れたいと思います。
本当に、大槌の町に訪れる事が出来、心温かいご夫妻に出会えた事感謝します。
震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈り致します。







