骨が砕けるような3日間
6月9日の夜。
足に激痛が走った。
骨折したかと思うレベルの痛みで、9日の夜から11日まで、ほぼ寝たきりで過ごした。
歩けない。立てない。トイレに行くだけで額に汗が出る。
「なんで俺、こんなことに」という言葉すら浮かばなかった。ただ、痛かった。いや、一層のこと足を切り落としてしまいたいとすら思った。それくらいだった。
11日、ようやく痛みが引いた。病院へ行くと、坐骨神経が原因だと言われた。骨ではなかった。でも、痛みに名前がついただけで、3日間は消えない。
12日、久しぶりに銭湯へ行った。
お湯に浸かった瞬間、なんとも言えない感情が来た。
「ああ、これが幸せか」と。
熱くも、ぬるくもない。ただ、お湯があって、足が動いて、湯船に入れる。それだけのことが、3日前には遠い話だった。
健康は「あって当たり前」じゃなかった
普段、俺は感謝を忘れる。
歩けることに。飯が食えることに。銭湯でゆっくりできることに。
痛みがないだけで、これほど世界が違って見えるのか。3日間のベッドが、それを教えてくれた。
坐骨神経痛は予告なしにやってくる。「明日も普通に動ける」という前提が、いかに脆いか。身をもって知った。
だけど、また忘れる
銭湯から帰りながら、ふと思った。
「これ、また忘れるな」と。
人間はそういう生き物だ。痛みが消えれば、ありがたみも薄れる。それが悪いわけじゃない。でも、せめて記録しておきたかった。
6月12日。銭湯のお湯が、これまでの人生で一番気持ちよかった日として。
だけど、また忘れる。
銭湯から帰りながら、ふと思った。
「これ、また忘れるな」と。
人間はそういう生き物だ。痛みが消えれば、ありがたみも薄れる。それが悪いわけじゃない。でも、せめて記録しておきたかった。
6月12日。銭湯のお湯が、これまでの人生で一番気持ちよかった日として。
感謝は、忘れるために書き残す
「感謝しなきゃ」と思うと続かない。だから書く。記録する。
この文章を読んでいるあなたが、今日、痛みなく画面を見ているなら。それだけで、もう十分すごいことをしている。
俺はそれを、3日間かけてようやく思い出した。