今までの人生において良いと思われることが
必ずしも自分にとって良いとは限らない。
今までの人生における物事や人生において何が全で何が悪であるのか明確な基準がなかった。
全てのものを生み出したり消滅させたり
つまり国を生み出したり地球を生み出したり
国を消滅したり星を消滅させる
あらゆるものの支配をしている確かな存在に聖書を読むことできずかされました。
皆さんこんにちは
今日は変な?タイトルと思われる内容について書いてみたいと思います。
実は昨日の夜に考えたことについてです。
私は人生を生き社会に違和感を持つ内容があります。
自分の性格的なものもあると思いますが
人間関係です。いわゆる良好な人間関係とゆうものです。
この事は小学校から学校に通い始めたころから感じていました。
なんとなく社会的に求められていることの違和感や抵抗など
ストレスが感じられていました。しかも、その違和感は社会人として過ごしている間も存在し続けていました。
その人間関係や社会に対する違和感がある時を境に無くなっていることにきずきました。
それは、私にとって非常な驚きであり、いい意味での変化や違和感でした。
そのころから、自分の人生について考えることや様々な物事に対する考えが変化していきました。
今でも不思議であり驚きの連続です。現在も日々変化しています。
私は2013年まで社会人として会社に勤めることで収入を得て生活をしていました。
それまでに少なくとも人並みに本や新聞や雑誌を読んだりテレビや映画を観て
社会の情報をなぜか興味のあるものを中心に取り込み自分の人生に生かそうとしていました。
特に2013年以降は自営業を結果的にはじめ
よりいろいろな社会の情報をインターネットから取り込み始めました。
そして、いわゆる陰謀論に興味を持ち始めていきました。
そして2015年ごろにRAPTさんのブログに出会いました。
その後に聖書を読むことによって
社会の問題や自分の悩みなどの問題が解決できる可能性があることを知りました。
勤めている会社において好ましくプラスと思われることが
必ずしも自分にとって好ましくプラスとは限らない。
つまり自分とその他の存在は一部分ではプラスになり一部分ではマイナスになる。
世の中はぞれぞれの立場や利害関係の微妙な部分に依存して成り立っている。
全ての人間や物事、例えば仕事や家や自動車や社会システムは
自分に対してプラスの面とマイナスの面があります。
聖書を読むことにより考えることができたこととして
例えば、聖書にはバビロン捕囚について書かれていますがユダヤ人は神に選ばれた存在でしたが
神に反逆してしまい裁かれた歴史的に有名な事件ですが何故裁いたのか聖書には理由が書かれています。
人間にとって人生において裁かれることは一時的に良いことではありません。
しかし、結果的には人間にとって人類にとって結果的には良い結果をもたらすことが分かります。
つまりバビロン捕囚とゆうことからそれぞれの人生において学んだことを生かすことで結果的には各自の人生を良い方向に
導こうとする意図が感じられます。
神様にとってより良いこととは、自分にとてもより良いことである。
むしろ神様とゆう大きなものは自分に良いものであり、悪いものは一つとして存在しないことにきずきました。
ただし人間の立場から考えるだけであれば大きな存在である者にとって良いものも
悪いものと考えてしまいがちだが結果的には良いものしか与えられていないことにきずくでしょう。
そのような存在が世の中に唯一あることを発見しました。
少なくとも私はそのような存在は他に考えられません。
まとまりがなく失礼いたします。
ぜひ聖書を手に取り読んでみてください。
何かしら自分の人生など疑問があれば
RAPTさんのブログを読んでみてください。
解決のヒントが見つけられることを望んでいます。