「五箇の手嶋の城」とは引野、能島、大門、津之下、野之浜で深津港を警固していた城の事のようです。今日は、その「五箇の手嶋の城」手城山城、矢崎山城、櫛山城、宅部城、梶島山城、高崎砦を散策します。
【手城山城跡】
手城山は福山湾の入口に浮かぶ孤島で、周囲は切立った岩石で周りに船舶を寄せ付けない島だったそうです。
手城山城は、現在は天当神社が建てられています。天当神社は手城新開の入植者に農業の神として祀られたそうです。
福山湾に突き出した岬で、海上交通の見張りをする役割を果たしていた。矢崎山城跡は、現在は畑に成っており、遺構はとどめていないそうです。
山麓に祠があり、矢崎大明神が祭られています。昔は本丸にあったそうです。
【櫛山城跡】
海賊を取り締まるために櫛山に砦を築いたのが始まりだそうです。現在、櫛山城の山は削れて無くなり、団地になっています。
【宅部城 (天道神社)跡】
中世には海上監視的役割を果たした砦であった。正保3年に天道神社を祀った事で天道神社跡でもある。
宅部城跡は、現在は引野幼稚園や小学校が建設され、昔の面影は全くありません。
福山湾東に浮かぶ島、山半分は住宅化が進み、半分は千間土手築堤時に土を掘り出し、岩が露出している。頂上には地神さんと金毘羅さんが祀られ、周りは墓地になっています。
岩竹山普門庵跡は水野勝成の菩提寺の賢忠寺四代の学海和尚開基の草庵跡です。
福山湾に突き出した半島の先端だったために、海上交通の監視にもってこいの場所だった様です。現在はこの山の端を崩している為、砦の遺構は全くありません。