大人数の飲み会はやっぱり苦手
声張らなあかん
声きこえにくい
ザワザワして落ち着かん
サークルのときから感じてて
研究室の飲みでも同じこと感じた
行かへんと仲良くなれへんかな とか
行かなあかんかな とか外のことばっかりで
行く前から乗り気じゃなかったけど
自分の声は聞けてたけど
それを行動に移せんかった
次からトライしていこう
飲み会中も
帰りも自分はどう感じてたんやろう
なにが嫌なんやろう
どうなるのが嬉しいんやろう って考えてたけど
やっぱり3-4人で 相手のことをもっと知りたいし自分のことを伝えたいし
落ち着いたところで おさけ飲みながらゆっくり話すのが好きやなあ。
飲み会通して 自分がもっと相手のこと知れた、
とか お互いの意見言えて聞けた、とか
無駄とか無駄じゃないとかはないけど
やっぱり一緒に飲むんやったら
近づきたい。知りたい。
ただただ騒ぐとか 自分の声聞かずに食べ放題やからって詰め込むとか、そうやって詰め込んでる人を見るとか 気分悪い。
私はこういう人なんやなって改めて気づいた
飲む食べるがメインじゃなくて
話して話して 憧れの人やったらしっかり学びたいし 友達の相談やったらゆっくり聞きたいし、心地よい時間の流れ方かどうか に私は重点を置いてる
だからこそ一緒にご飯食べる、仕事の付き合いじゃなくてプライベートで行くってなったら
ゆっくり自分の声を聞いてあげたい
今日のは仕事の延長か、プライベートかの境目は難しかったけど やっぱり聞くべきは
信用すべきは、自分の声。
断るっておそろしい、みんな行ってるのに自分だけ行かんってこわい。
けど 行く前から、行ってる間から、帰りから
考えてることは
やっぱり自分の心地いい飲み方じゃなかったし
望む場ではなかった
自分の気持ちをきく、
それを行動に移すのは覚悟がいるけど
覚悟さえ決めてしまえばあとはなんとでもなる。
むしろ 自分の声が聞こえて来たら従う覚悟、
いろんな保険をかけずに 聞こえて来た声を行動に移す覚悟、それが今の自分には死ぬほど大事。
明日ものんびり生きてると思い込んでるから
声に逆らってなんとなくに身を委ねることが多いけど このまま死んだら あのとき最後ぐらい自分の声に従っとけばよかったな ってなる。
常に自分の声を聞いて、
常にこのまま死んだらどうかな?って
自分に問うて もっと細かく細かく
自分の感情に敏感になる