私が22歳の時母が52歳の若さでくも膜下で倒れた。気丈な母はリハビリで身の回りの事は独りで出来るまでに回復
私が転勤で横浜に来る時も田舎に残ると言って独り暮らしを選んだ。二軒隣に母のお友だちのご夫婦がいて自分たちが様子を見てますからと言われ母を残して横浜に来た。7年前母は廊下で転び骨折、つたい歩きがやっとになりしぶしぶ横浜に来てくれた。朝食を食べさせ、お弁当をレンジにセットしボタンを押すだけにして、夕食は海苔巻きやいなり寿司を用意して、私は仕事を続けていた。
私と母の田舎は宮城県石巻市。震災の2年前に母を横浜に引き取った。震災から3年たっ時、母のお友だちから自分たちも年をとったまた何かあったらもう会えなくなる死ぬ前にもう一度母に会いたいと言われ、母を石巻に連れて行った。まさか私の生活が一変するとも考えずに
震災から3年と言っても瓦礫が片付いたぐらいの景色に母は“あら~あら~”と顔を曇らせ、依然自分が勤めていた半壊の小学校を見ていた。お友だちとの再会で号泣していた。
横浜に帰ってから母は余り食事を取らなくなった。1週間くらいして事件が起きた。
母が私が仕事している時間外に出て、お隣の玄関前で動けなくなっていた。
昼と夜の逆転が始まり、奇声を挙げるようになった。認知症の発症と言われ要介護4の認定
私は退職しどっぷり介護生活になった。
すでに2年、社会との接触がない
母は食事をして少しすると“おなか減った―”と叫ぶ
“今食べましたよ”と私
“あっそ、なら良いの”と母
するとココロの私が“じゃあおなか減ってねーだろ”と頭の中で言う
トイレに間に合わず毎回お漏らしする
“お漏らしした。失敗したなあ、こんな事初めてだよ”と母
“そうだね、人間だもの失敗するよ”と私
“毎回漏らしてんじゃん、3日でオムツパット無くなるくらい漏らしてるだろ~”っとココロ
これって介護あるあるなの?