先日取材させていただいた某有名企業経営者の方の記事を、本日から執筆する
「カンブリア宮殿」にもご出演されていた方なので、名前と事業内容を聞けば、「ああ、あの・・・」と思い出す人も多いに違いない
これまで700人以上の方々、それも各分野のトップランナーの方々を取材させて頂いたけれども、社会や地域のリーダーになってゆく企業経営者には、明確な2つの特徴がある
それは、「ソーシャルアントレプレナーシップ(=社会企業家精神)」に富み、「イノベーティブ」な事業展開をしていることだ
社会や地域が抱える、いわゆる「社会課題」を解決することを経営目的とし、それを実現するために、非連続・現状否定型の「変革」を起こしていく
この傾向は、1990年代末から、徐々に顕著になり始め、今では、非常に大きなウネリを形成しており、老若男女を問わず、リーダー的経営者の特徴となっている
思えば、20世紀は、イノベーティブな経営者は多かった反面、公害を垂れ流したり、自然破壊を進めたり、各種の偽装を行ったり、法的にも倫理的にも大いに問題のある人々(や企業)が多数存在した
しかし、20世紀末以降、イノベーティブであると同時に、ソーシャルであること、エシカル(=倫理的)であることが、世の中の要請となってきた
そして、それを体現できる人が、各業界のリーダーとして脚光を浴びるようになった
彼らと接し、話していて痛感するのは、皆、見事な「哲学」をもっていること
そして、その「哲学」をベースに、社会の事象を眺め、そこにどんな解決すべき「課題」があるかを看て取り、その解決のために、革新的な事業を構想し、実現してゆく。
彼らの「哲学」は、書店の自己啓発本コーナーにあるような「人生論」みたいなレベルのものではなくて、「ホンモノ」の哲学だ
ある経営者は、中国の陽明学を体系的に学び、それを現代日本社会に置き換えて、自身と自社の経営哲学として再構築している
また、別の経営者は、近江にある500年年前の古文書(一次資料)を渉猟し、当時の「商いの哲学」を子細に検討して、それを現代日本社会に置き換えて、経営哲学を構築している
彼らに、それだけ高度な作業が可能なのは、言うまでもなく、学生時代に、長期にわたって専門的なトレーニングを受けているからに他ならない
専門性の高い外国語文献や、日本の古文書を読み解き、しかも、それを深く理解し、そこから現代社会に適用可能な独自の経営哲学を構築する訳だから、それは当然だろう
そのせいだろうか、そうした優れた経営者には、政府の各種審議会委員や、大学教授に抜擢される方が多い
これからの日本を考える時、経営者はもとより、政治家を含む各界のリーダーに求められるのが、そうした「哲学」であることは明白と言って良い
ところが、先日、文部科学省は、日本全国の国立大学に、人文・社会科学・教育系学部・大学院の縮小・廃止を通達した
哲学とか歴史などを学び、それを現代社会に活かす文科系の学部・大学院を潰して、その分の経営資源を、医療・工学系などの理系学部・大学院に重点投下しようという考えだ
これは、日本社会、とりわけ産業界がようやく辿り着いた「正しい方向性」に逆行していると言って良い
これから日本に最も必要なのは、世界に通用するような優れた「リーダー」を、各分野に輩出してゆくことであり、
そのためには、「哲学」「歴史」に学ぶ素養(=読解・思考の専門的訓練)が必要であるということを、
過去15~16年間に、多くの卓越した経営者が身をもって示しているというのに・・・
今や、高い問題意識を有する高校生たちは、最初から日本の大学を相手にせず、自分のビジョンにもっともふさわしい大学を世界中から選択し、進学するようになっており、その数は増え続けている
今後、日本の国立大学が、上記のような方向に転換してゆくならば、高卒者の海外大学進学率は、急激に増加するだろう
彼らが、将来、日本に帰ってきてくれ、日本社会のために、その優れた能力を活かしてくれるのなら良いのだけれども、おそらくは、その多くが、海外で就職してしまうに違いない
そうなれば、日本には、近視眼思考で視野狭窄の「定見なき」リーダーがあふれることになりかねない

せっかく日本の産業界が良い方向に向かい始めているというのに、役所が先頭に立って、それを潰すようなことをするなんて・・・
今、国会では安保法制をめぐる議論が行われているが、少なくとも、私の目には、今回の文科省の通達の方が、はるかに危険で、日本の将来を暗くするものだと感じる
なぜなら、戦争を起こしたり、国を滅ぼしたりするのは、特定の法律ではなく、定見なき暗愚なリーダーたちだからである