皆さんお久しぶりです。たまにとんきちです(^_^)v



上の写真は庭に咲いたバラです。何も手を掛けてないのに毎年咲いてくれます。何だかうれしい(#^.^#)



昨夜デスクの引き出しの整理をしてたら、新聞の切り出していた記事が出てきました。






東奥日報の令和5年1月7日の記事です。高橋圭子さんという方が、永田和宏著『歌に私は泣くだろう』という本の感想を書いた記事です。少し長くなりますが、原文通りに書いてみようと思います。



文章には人となりが出てしまうことに気付いてから、書いたものを人さまにお見せすることを避けてきた。いわんや短歌をやである。それなのに、2012年第66回青森県短歌大会の特別選者を紹介する新聞記事になぜか目が留まった。妻の河野裕子と夫婦で歌会始の選者を務めた歌人の永田和宏が来青するというのである。結婚前も、結婚後も生涯にわたって相聞歌を詠み続けた二人。妻が再発乳がんの闘病中に詠んだ1首に衝撃を受けた。



歌は遺り歌に私は泣くだらう
いつか来る日のいつかを怖る

永田和宏



短歌という容れ物はこれほどの想いをしなやかに包み込んでしまうものなのか、こんなすごい歌を詠む永田和宏に会いたいと強く思った。そして、この永田和宏著『歌に私は泣くだらう』を読み、私は短歌を始めた。



河野裕子が乳がんと診断された2000年からの日々が、河野裕子の日記や短歌を引きながらつづられている。ここまで赤裸々に書いていいものなのかという逡巡(しゅんじゅん)もあったよだが、「モーニングワーク~喪の作業」として必要なことであったようである。精神的に不安定になり、逆上性の発作を繰り返す妻に



この人を殺してわれも死ぬべしと
幾たび思ひ幾たびを泣きし

永田和宏



とまで追い詰められる。一方で妻は自分のしたことを後日冷静に振り返っている。



あの時の壊れたわたしを抱きしめて
あなたは泣いた泣くより無くて

河野裕子



術後の体が思うようにならないこと、再発におびえる日々、薬の副作用など自身も経験したことでもあり、余計心に迫った。亡くなる前日の



手をのべてあなたとあなたに触れたきに
息が足りないこの世の息が

河野裕子



という歌も哀切である。死を前にして「歌に私は泣くだらう」と詠まれる、そこまで愛し愛されたことに嫉妬すら覚える。だがうらやんでばかりはいられない。あなたに愛を伝えなくては。
(令和4年歌会始予選者、青森市)



以上です。皆さんどんな感想を持たれたでしょうか。とんきちは令和5年の1月にこの記事を読んだ時より、昨夜読んだ時の方がはるかに胸に響きました。「歌に私は泣くだらう」そううたえる心になりたいものです。



皆さんも短歌ってみませんか(#^.^#)



あなたから溢れでている言の葉に
溢れだすのは心の涙

とんきち歌に泣いたよ短歌♪




そんな感じ(^_^)v