古い言い回しは現代風に変えてあります。心の掃除してますか?

 

生めば生む程、自分が新しく成り、大きくなる。
行き詰まりがありがたいんだ。進んでるからこそ、
行きあたり行きつまるんだ。

省る時与えられるんだ、さとり(差をとる)の時与えられるんだ。

生(ウム)とは、自分をよりよく生長(成長)させること。
一つ生めば自分は一段と上に昇る
この道理わかりますか?

産むことによって、自分が平面から立体になる。
毎日、一生懸命に掃除していても、何処かにホコリが残るもんだ。
まして掃除しない心にホコリつもっていることくらい、
誰にでも判っているでしょう。掃除しましょう

自分が生んだもの、自分から湧き出るものは、いくら他に与へてもなくならないよ。
与えましょう、与えましょう、与えてなくなるものは自分のものでないんだよ。
無くなると思うのは形のみ見ているからだよ。

カラのみ見るからだよ、本質は無限に拡がるんだ。
与える程よりよく、与えられるよ。
井戸の水のようなもんだ。
汲めば汲むほどよくなる仕組みさ。

信じ合う一人が出来たら一つの世界を得たこと。
一つ得たら二つになったこと。
 

 

なかなか難しいですねー。与えろって言われても。自分もまだまだ!
 

ブログにも色々な人がいますね。なんかいいことばっかり言う人や、それでお金を儲ける算段をしている人。なんか講習会?お話会?などといってはお金をとってますけど。15000円!?20000円??しかも円を縁に掛けてる人も多いですよ。そりゃ、お茶だの食べ物だの、かかった分に毛が生えた程度は貰ってもいいと思いますけど。本当に真心から世の中を良くしたいとか、自分が幸せになった生き方を色んな人に知ってもらって楽しい人生にしましょう。って言っている人ほどウン万円とるとか。笑 やめなはれやー!笑

またまた森田正馬さんの言葉から。グッときますね~。

 

<拮抗作用>

 

この拮抗作用というのはつまり「したい」と「できない」との間の迷いであって、この迷いが複雑で大きいほど、精神の発達した修養の積んだ人である。迷いそのままのうちに、悟りがある。精神が幼稚なほど、迷いは簡単で、ただちに一方に解決してしまう。神経質の患者は、迷ってはならぬ、なんでも解決しなければならぬと考えるのが、第一の誤解の元である。僕の教え方は、迷うのは免れない、迷うのがわれわれの本当の心で、われわれは迷いながらにする。迷いながらに、信ずる人にまかせるというのである。

 

<気分本位>

 

「気分本位」というのは、人生の事実・実際を無視して、いたずらに自分の気分を標準にして考えるものである。「案ずるより産むがやすい」ということがある。実際に事実は気分とは違う。案ずるのは夢のようなもので、想像が事実のように思われてくる。恐ろしい心で見れば枯れススキも幽霊になる。これをジッと見つめれば幽霊の正体もわかる。

 

<悪智>

 

自分の考え方で、事実の真相を曲げようとする。これが悪智です。「逃れられぬから、すなわち恐ろしい」という事実を恐ろしくないように考えようとするのが、悪智である。

森田正馬さんの言葉です。

 

修養について、こう言っています。

 

こんな問題は、単なる思想であり空論である。
思想の遊戯である。
人格を立派にするとか、
精神を統一するとか言っても
みな抽象的な机上論である。


便所の汚れたのを見兼ねて、
これを清潔にするのは修養であるが、

修養のために便所掃除をするのは邪道である

 

次は僕の大好きなネイティブアメリカン、オガララ・ラコタ族のブラックエルクの言葉。

 

世界の中心はいたるところにある。

 

グレートスピリットであるワカンタンカ(創造主)は、六つの方角を決めた。すなわち、東、南、西、北、上、下である。しかし、まだひとつだけ、決められていない方角が残されていた。この七番目の方角は、すべてのなかでもっとも力にあふれ、もっとも偉大な知恵と強さを秘めている方角だったので、グレートスピリットであるワカンタンカは、それをどこか簡単には見つからない場所に置こうと考えた。そしてとうとうそれは、人間がものを探すときに、いちばん最後になって気がつく場所に隠されることになった。それがどこであったかというと、ひとりひとりの心のなかだったという話だ。

 

合気道の達人、塩田剛三さんの言葉。

 

威張ってはいかん。

命令してはいかん。

しかし妥協してはいかん。

調和すればいいんだ。

 

合気道の一番の技?

それは、自分を殺しに来た相手と友達になることだよ。