ぎっくり腰の検査に2時間かかり

痛くて泣きながら実家へ向かう


そういえばここまで出てこなかったけど、当時の旦那は


「俺の有休使って葬儀に出なきゃないの?」

と発言したので、来るなと言った。

速攻義姉に電話して報告。

夜、義母から電話が来て謝られたが

「うちの息子は高校の時、大学へ行けと言われるくらい頭が良かった」

と謎の話をされたので

「いつの自慢話ですか?私にはもう必要ないので、熨斗つけてお返しします。」と電話を切る。


祖母の家は本家なので、近所の方や様々な方が沢山いらっしゃった。

台所では女性陣がご飯を作り。

男性陣は葬儀の準備をされていた。


車から降りるのもやっと

何とか歩いて皆さんに遅れて申し訳ないと謝罪

祖母に挨拶をして台所へ向かった


予想通り待ち受けていたのは従姉妹


・本当に月しか間に合わなかったの?

・本当に急変だったの?

・なぜみんなを呼ばなかったの?


随分失礼な質問をされたが、適当に返した

痛みでそれどころではなかったし

祖母が居なくなった喪失感でいっぱいだった


それでも従姉妹の話は終わらない

頭の中どうなってるんだろう


・祖父の時、弔辞を読んだのは私なので、今度は月がやりなさい

▶︎速攻拒否。

「やりたい人がやるべきじゃない?やりたいんでしょ?どうぞやって。そもそも見てわかるように、ひとりで立てる状況でもなく、葬儀の時間、座っていられるかもわからない。やる気力もない。」

 

・(従姉妹の)母に言われたんだけど、香典は孫はひとり5万円にしようと思う。だからみんなに伝えて欲しい。

▶︎「ありえない。なんで親より多い金額を入れる?常識的に考えてありえないでしょ?私の親に聞く?香典も好きにすればいい。私はムリ。誰にも言わない。自分達の家庭状況、子育てしてたらそんなのムリ。」


と突っぱねた。

が、香典に関してはしつこかったので、私の弟に従姉妹の話を伝えた。ガチギレした弟に全て任せた。


なにも学ばない従姉妹は、

祖父の時の弔辞は、正直私の言葉ではなかった。親に直された文章だった。だから今度は自分でやりたい。でも孫ひとりひとりから一言欲しい。


▶︎「前回もそうやってみんなから一言貰って、結局誰の言葉かわからないまま。今回も同じことするの?全部やりたいようにやればいいと思う。」

と突っぱねる。しかしそこだけは譲らず。

弟に一言だけは書いて渡そうと言われ書いた。


田舎は自宅で葬儀を出し、終わったら火葬に行く。

その後、呼ばれた人だけ忌明けという食事会がある。


祖母の時は火葬が先だった気がする。

火葬場は近くにないので、葬儀会社が準備したマイクロバスに乗り、片道40分かけて会場へ。

行き帰り、私は大好きな竈のおじちゃんの隣に座った。

そこに座るな!と色んな人に言われたけど、おじちゃんが

俺は月と座る!

という鶴の一声で決まった。


往復のバスの中、ふたりで色々話した。

どんな状況だったのか。

おじちゃんはいつも私を可愛がって、いたわってくれた。

「俺、弔辞を頼まれた。もう書き出しは決まってる。最愛の孫、月に看取られて天国に行った。と書く」と。

従姉妹やその母(私の母の姉)が文句言うからやめなって、と止めたが

あいつらのことなど気にしなくていい!

と言われ、泣いた。


おじちゃんの弔辞は本当にその言葉から始まった。

私は予定通り、親族席には座らず、一番後の端に椅子を準備してもらって座っていた。


孫代表の弔辞。内容はズタボロ。

朝から家族で一部屋貸し切ってミーティングしながら直した弔辞。

家族総出で書いた弔辞は、従姉妹がリハビリをして、最後を看取ったという話になっていた。

おーおー、面白く書いてくれたなぁと心の中で笑っている私。

最後を知っている方々はザワザワしてこちらを見る。


葬儀が終わったあと、立てずにいる私を助けに来てくれたひとりの女性に

「最後を看取ったのは月だよね?」

と聞かれた。

笑って、そうだけど、本人達がそうしたいんだから気にしなくていいよ、と答えたら、激怒していた。

あれはこれからずっと、言われ続けるだろう。


私の後悔は、母に最後を看取らせてあげられなかったこと。

それだけだった。