私にとっては、母方の祖母になります。

今はわけあって私の実家で暮らしています。

私は、小さい頃からほとんどの時間を
岐阜にあるこのおばあちゃんの家で過ごしました。

あまり夜泣きがひどいので、真冬に霜がはったベランダに放りだされたり
好き嫌いをして怒られたり

でも、毎日ずっと一緒に遊んでくれた
いっぱい愛情を注いでくれました

そんな  おばあちゃんは
私の息子はさらに可愛いようで
一回抱っこさせたら、ずっと離しません(笑)


今日、私がトイレに行っている間
何かおばあちゃんが一生懸命
息子に話をしていました。
こっそり聴いてみると



『仁君がランドセルを背負って学校に行くまで、ひいおばあちゃんは生きていられるかなぁ?

せめて、お話できて歩けるようになるまでは生きていたいなぁ。

早く大きくなって、ひいおばあちゃんと一緒に遊ぼうね。

天国のひいじいちゃん聴いてますか?
だからまだ  そちらには行けません。
迎えにこないでねー』


そうか、おばあちゃんはもうそんな歳なんだ
いつまでも一緒にいれないんだ


改めてそう思った時
好きなだけ一緒にいさせてあげようって
思った。



おばあちゃんが長生きしますように
私からもお願いします。


今日、市から派遣されたベテランママが
赤ちゃんと母親の産後の様子を見に来て下さいました。

家庭の状況や子育ての不安、健康状態など
イロイロお話しました。


もし、困った事があればいつでも相談して欲しい。
市では、ママのリフレッシュに一日1000円で
赤ちゃんを預かりますets・・・

今は、子供を守るために
イロイロやってるんですね(*´∇`*)


息子は、生後2・ 5ヵ月になりました。
最近は、メリーに夢中です(。>д<)

ガラガラも持てるようになり、大人しくひとり遊びが少しできるようになりました。
オーボールも握って遊んでくれます。
キャッキャ言って本当に可愛い!!

ですが、何故かいないいないばーをすると
メソメソ泣いちゃうんです。
なんでかなぁ?

私が小学2年の時に父は事故で脊髄を損傷、両足を粉砕骨折し下半身付随になった。
当時両親共に32歳。私、8歳。弟5歳。妹3歳。

父が働けなくなり会社倒産。
母は、パート勤めしながら私たち家族の面倒を見ていた。


甘えたい盛りに甘えられず、兄弟の面倒を見ていた。

中学生でいじめにあい、不登校。
なんとか高校にはいけたものの、毎日
心が空っぽで家に居場所が感じられず
友達の家とか彼氏の家とか転々として
家には帰らない日が続いた。

心配して毎日掛かってきた母からの電話さえ
鬱陶しく思い拒否してた

そんな私を心配して、おばあちゃんが同居するようになった。
毎日真夜中近くに帰宅
食べないからいらないと言っても
毎日、私の分の夕食は作られていて
私が帰ると、おばあちゃんが起きてきて
『一緒に食べよ。ひとりで食べるご飯は美味しくないから』と一緒にご飯を食べてくれた。

そんな生活を続けていたら、弟と妹と大喧嘩。
みんなの気持ちを考えろと、、、

高校を卒業して社会人になって、給料を家に入れることにした。ガムシャラに働いた。

しかし、ある日会社に電話が掛かってきた。
私名義のカードローンの支払いがたまっていて
130万まで膨れ上がっていると。
カードなんか作った覚えがないので、母に問い詰めると
お金に困り私名義でカードを作り使ったが、やはり生活費がたらず返済もしていなかったと謝られた。
その日から、母の信用を無くし
話さなくなった。

また、必死に働いてようやくローンを返し終わり
無事に入籍も果たした。去年のこと。

7月28日。
陣痛が来て、旦那は仕事でいなかったので実母が
病院に来た。17時間一緒に陣痛と闘ってくれたが
赤ちゃんと母体が持たないと緊急帝王切開に。

麻酔で朦朧とするなか、私はどうしても
母に会いたいとワガママをいったらしい。

母が手術室に入り私の手を握ったとき。
『母さんは、こんな辛い陣痛を3日も乗り越えて
私を生んだんだね。今までクソガキで
迷惑ばかりかけて、ごめんなさい。』

麻酔と睡魔で、この発言は覚えていないのだが
母が退出し私の意識がハッキリしだした時に
助産師さんから教えて貰った。

それから、入院中。
母は毎日私に会いに来てくれた。
仕事もあるのに、毎日来てくれた。

そして、退院日。
『私は貴女を誇りに思います。』
そう言われて 自分も母親になって
初めて母の偉大さ、強さ、弱さ、優しさを知った。

弟も妹も駆けつけてくれて、久しぶりに
一家がそろった。


長い長い反抗期が終わった日、
あぁ、この家族のもとに生まれてきてよかったと思えた日。

それは、私が母親になった日でした。