田舎出身の都市銀行サラリーマン悲哀日誌
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2007/05/04

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前の話がおもかったので、犬をもってきました
ほんものですよ~

思い出

そういや従兄弟が26歳で死んでもう3年になる。


自分が宮崎で、従兄弟が福岡。


自分が10歳のとき従兄弟が13歳。


3つ上の従兄弟で、毎年夏休みになると宮崎の日向ってとこにある


実家に帰ってきてた。


自分が一人っ子で、従兄弟も一人。それも唯一の従兄弟だったから、


すっげー兄貴みたいな存在だった。




金魚の糞みたいにくっついてたけど、やることといえば、とにかく野球。


従兄弟は高校の時には国体でにいくぐらいの選手だったけど、


いつも全力。


雨の日にやる室内野球はいつも全力。


小学生の自分にも全力。


ちらしとか新聞で作ったバットとかボールとかでやって、すっげー楽しかった。


とくに小学校のころは勉強ばかりしてたせいで、学校の友達からも相手にされなかったから、


自分はすっげー楽しかった。



とあるとき従兄弟が全力で打ち返したボールが肺あたりに当たって、息ができなかった。


しぬほどあせってた・・・


でも、そのあせってた人が、3年前その肺にがんがみつかった。


25歳での肺がん。これまでで5番目に若い肺がんの発症らしい。


その日はいつもみたいに風邪と思って会社を休んで病院にいった。


その病院からは別の大学病院を紹介され、そこに行ったって。


そこで発覚。





わからんよね。その1年前に祖父の葬式であったときはタバコをめちゃくちゃ吸って


元気そうやった。でもずっと咳をしてた。


それからすぐのことだった。




そしてその日は驚くほど早かった。


病院を転々とし、必死に全力で戦ってた。


発覚して1年後のちょうど2年前の今日息をひきとった。


その1週間前にはなぜか自分に電話がきて


「最近どう?おれは調子いいよ」って。


わかってたんかな。


最後の日は風呂に入りたいといって、家に帰って風呂からあがったあと


急変。そのままなくなった。



葬式のとき、自分の中ですごく憧れだった従兄弟は


目をつぶってたけど生きてるみたいだった。


でも抗がん剤のせいで皮膚の色は赤みをおびてて、はれててあまりにもむごい。


でもうっすらと笑みをうかべてた。


強かった従兄弟でも勝てなかったけど、最後まで戦ったんだなって


すごくわかった。


全力で野球みたいに戦ったんだなって。


そう思って今までありがとうって心で話した。


勝手に涙が出てきたけど、手をぎゅっと握った。


あのときは太かった腕が、枝みたいに細くなってますます涙が出た。




それから2年後の今日。


自分は結婚式を迎えた。


自分は従兄弟の年になり、


相手は従兄弟と同じ年の年上の相手。


ずっと全力で大切にしていくよ。って心に誓った。


純兄ありがとう。

さいしょ----自己紹介-----

どうもはじめまして。


とにかく誰にも話していないことを書いてみます。


誰も読まなくても、いつかちらっと読んでくれれば・・・