前回のブログで閉鎖するとまで書いたのですが、どうしても書きたかったので追加をすることにしました。
本日、2013年1月19日を以て、三輪駆動は無期限の活動休止となりました。
本日はその最終の練習でした。もう何かに向ける訳でも無い、いつも以上に無意味な練習でした。
作った曲をひたすらなぞり、作りかけた曲で遊び、いつも通りに休憩を多めにとって、いつも通りに曲で遊ぶ4時間でした。辛かった。
練習開始前に少し話を聞いたら、他の二人は別で活動するそうです。
自分で招いた結果でしたが、まるで振られた時のような寂しさがありました。
駆け足、3年半。活動休止期間を含め、約4年。
思えば、前回の休止も自分の勝手でした。
二人を苦しめ、二人を振り回した4年間でした。
当たり前みたいに皆で集まって、バンドをしていたことの大切さを、今日ホントに感じました。
練習中、自分で書いた歌詞の二つが、今日こんなにも降りかかってくるとは思いませんでした。
サイレントの「さよならの中にあるのは 懐かしい思い出 忘れることなど出来るわけないよ」
One Hundredの「返しても返しても 終わりなんか作りたくない」と「これからも続いていく毎日だって100分の100の偶然で成り立ってる」
自分がいた三輪駆動はもう静止画のような思い出であり、この結果は100分の100の偶然なのかもしれない。
円満だった自分を責めたりはできません。この結果を招いたのも自分です。
でもここまで、自分で書いた歌詞に詰められるとは思わなかった。
昔の自分に会えるなら、伝えたい。言葉は時に、自分への刃に成りかねないと。
帰り道、こーちゃんと二人で話していて、気付いたら泣いてしまっていました。
「ごめんなさいの涙」と「悔し涙」でした。
仲間である、仲間であった彼らの秒針は常に進んでいる。
彼らにももちろん不安はあり、彼らなりに戦おうとしている。
自分は今、音楽だけではない。でも、音楽は自分の自負できる部分。
果たして自分は仙台で音楽は続けるべきなのだろうか。続けるとしたら、何のためなんだろうか。
彼らにとっては音楽は全てではないにしろ、彼らの中では大きく占めていた部分。
自分は彼らから、その大きな部分を抉り取ってしまった。
それなのに、「横浜に戻ってきたらまたやろう」と告げてくれたふたり。
場所を奪ってしまってごめん。
いなくなってしまってごめん。
力になれなくてごめん。
こんなことになるなんて思っていなかった。
でも今はこうするしかない。
一つ、感じたことがあります。
一刻も早く、横浜に戻ってこなければいけない。
今のままではいけない。何かを身に付け、自立していることを見せつけ、戻ってこなければいけない。
彼らの為と言えば嘘ではないけど、それだけじゃない。
俺は、彼らと音楽がしたい。
ただ、それだけじゃダメだ。
俺は、自分の力で踏ん張り、自分の力で彼らに今までの分もこれからも返していく。
そうしたいんです。
誓いのため、書きました。
次は彼らが開いてくれる壮行会の時にUPします。