423日は、おうし座の新月でした。


私は、アファーメーションの意味も込めて、毎月新月の日に、願い事を書いています。(願い事は10個まで書けます。)


今回の願い事の中に、「自分の持つこだわりや執着を一度見直し、手放せる私になりたい」を加えました。


そう思うようになった経緯に、息子との関係がありました。


息子は小学3年生です。公立小の支援学級に通うレベルの発達障害があります。そのため、出来る事は年相応なのに、出来ない事は未就学児レベルに出来ない等、発達がチグハグです。


また発達の相乗効果が少なく、何か1つの事が上手になると他の事も上手になる、ごく一般的な発達過程より、むしろ何か1つ出来てた事が、全くの降り出しに戻ってしまう方が多く、一筋縄ではいかない事が多々あります。


また勝ち負けにこだわりがあり、親の隙を狙ってイタズラをして、成功すると、勝ったーっ!と、大喜びします。親が怒ったり困った顔をすると、もっと調子に乗って、執念イタズラを続けます。


最近は自粛で家に一緒にいる時間が長いため、親の方も余計にイライラしてしまい、なんとかイタズラをやめさせようと、こちらもまた執念説教してしまいます。


そんな感じで、息子も私も、毎日今まで以上のストレスで過ごしていた結果、ついに息子が私の顔面目がけて投げた物が、私の右目の下辺りに命中して、傷から出血するほどの怪我をしてしまいました。


あまりの痛さに泣き叫ぶ私、それに驚いて部屋から出てきた夫に怒られて、泣き出す息子。外にいる人に聞こえたら、夫がDVだと思われるだろうな、笑笑 


ちなみに夫は優しくDVはないです 笑笑


痛みで泣き叫びながら、思い浮かんだのは、ずっと若い頃に付き合ってたひと。幼なじみと言っても良いのかな。その後も何度か繰り返し接点はあったけど結ばれなかったひと。

付き合っていた時も、私達は超プラトニックで、ハグはしたけどキスもしなかった。今思えば、キスくらいしとけば良かったな〜 笑笑


ふと、夫にも、そういうひとがいるのかな。いつか、聞き出してみたい。


と思ったら、少し立ち上がる力が湧いてきて、冷やしながら止血をし、化膿止めを塗りました。


息子のことで騒動がある度に、児童相談所に連絡して預かって貰おうか、いっそ手放そうかと考える私がいます。


でも、いつも思い留まる、、

その時は良くても、必ずもっと酷い状態になって戻ってくるから、、

そう、、私の姉が母にしたように。


私の母は、姉の反抗期に耐えられず、寮のある高校に進学させました。その時の解放感に満ちた母の顔を今でも思い出します。

姉は今だったら自閉症スペクトラムと診断されているでしょう。反抗期の姉を思い出すと、その当時の母の、距離を置きたい気持ちも理解できます。


が、それから10年以上経って姉は統合失調症を発症し、反抗期の時よりもっと酷い状態になって母の元に戻ってきました。

今は症状も落ち着き、仕事もし、母とも良い距離感で同居している姉。こうなるまでに、発症から15年くらい費やしています。


いつも思うのは、いらない物を捨てて断捨離出来るけど、神様から与えられる経験に、いらない経験等ないということ。

経験に断捨離は通用しない、、それを身近で見てきたから、息子は絶対に手放さないと、再び決意するのです。


さて、ようやく、表題の「こだわりを捨てる」ですが、息子を云々言う前にまず、何故息子のイタズラで、自分がここまでイライラするのか。今回負った傷で、考えるキッカケになりました。


誰でも、好きなやり方、あり方があるように、私も、お茶やコーヒーのカップを熱湯で温めてから煎れる、とか、ドアは静かに閉める、とか、食器は音を立てずに置く、洗濯はタオルとか大きいものから干していくとか、別に生命に関わる事ではないけれど、大切にしている習慣があります。

息子のイタズラにイライラするのは、そういった自分の習慣を邪魔された、と感じる時だったのです。


夫も観察してみると、やはり夫も自分の習慣を邪魔されたと感じる時に、イライラしてるなと感じます。


また息子は、そういう大切にしている習慣を、隙あれば阻止してくる、イタズラの天才なわけで、説明してその時は理解しても、また同じイタズラを繰り返してきます。


以前から、育児アドバイス的な記事は読む方で、「生命に関わる事以外は大目に見ましょう」と読んで知っていたけれど、今まで、その通りにしようと思いませんでした。


でも、この新型コロナ自粛中に、それが本当に必要な要素で、いかに自分のこだわり、過去の価値観、習慣が、生命に関わる事ではないかに気付き、新月のお願い事に書くくらい大切なことだと分かったのです。


と同時に、自分が今まで息子の命を軽く考えていた事に反省しました。いつの間にか、皿一枚が息子の命より大事になってしまっていた、、冷静さを欠いた私に、顔の傷が戒めのように語りかけているのが分かります。


ここまで気付いた頃に、傷も良くなってきました。やはり、神様はいるのだと思います。


そして、最後になりましたが、

岡江久美子さんのご冥福をお祈りいたします。

あなたが発信されてきた深い愛を、残されたひと達皆んなで受け継いでいきますね。



皆様が沢山の愛で包まれますように。