「知れば面白い神話と神社のおはなし」

 

 

こんにちは!

 

神話と神社が好きな女子高校生やおよろずです!

意外と知られていない神話・神社に関する情報を投稿しています。

 

神話を知れば神社に行くことが楽しくなります!

 

今回は、前回のブログで紹介した晴明神社の御祭神である安倍晴明についてお話していこうと思います。

 

晴明神社に関してのブログ↓

 

 

 

  安倍晴明

 

 安倍晴明は、平安時代中期に活躍した実在する陰陽師です。

 

陰陽師の中で最も有名な人物ともいえる安倍晴明は、現代でもアニメ・ゲーム・映画・舞台など幅広い分野で主人公や、そのモデルになっています。

 

天才と言われる陰陽師安倍晴明は、一体どんな人物だったのか見ていきましょう!

 

 

まず、簡単に陰陽師について解説します。

 

陰陽師とは、中国から伝わった陰陽五行という思想をもとに、風水を占ったり祈祷を行ったりすることを生業としていました。

 

飛鳥時代から陰陽師という人々が存在していたと言われていますが、その後だんだんと陰陽師が有名になり平安時代に陰陽師最盛期を迎えました。

 

その最盛期である平安時代に活躍した陰陽師の一人が安倍晴明です。

 

 

 

 

 

安倍晴明の生涯

出自については様々な説がありますが、最も有力だと言われているものが摂津国阿倍野(現在の大阪府倍野区)です。

 

陰陽師である賀茂忠行(かものただゆき)・保憲父子から陰陽道を教わったと言われています。

 

この阿部氏と賀茂氏は、後に「二大陰陽師の家」と言われるようになりました。

 

実は安倍晴明は遅咲きで、晴明が40歳のころにその当時の天皇であった村上天皇の占いを命じられました。

 

こうして安倍晴明の占いは認められ、50歳で天文博士(平安時代に設置された律令制での役職の一つ)になり、陰陽師のトップとなりました。

 

70歳の頃、一条天皇の病を完治させ、84歳の頃雨乞いを行い雨を降らせたと言われています。

 

このように天皇家と密接な関わりを持ち、陰陽師として結果を残していた安倍晴明は絶大な信頼を天皇家から得ていました。

 

また、天文学にも精通していた安倍晴明はその計算能力を認められ、主計寮(律令制で定められていた役職の一つ)でも活躍しました。

 

その後、1005年85歳で亡くなったとされています。

 

 

  10の逸話

 

安倍晴明が持つ力について、多くの伝承・逸話が今でも残されています。

 

その中で、晴明神社で伝わっている10の逸話についてお話していきます。

 

1.安倍晴明と渡部綱

 

平安時代中期の武将である渡部綱(わたべのつな)は京都の一条戻橋でたいそう美しい女の人に話掛けられました。

 

送ってほしいと女が綱に伝えますが、女は途中で鬼女に姿を変え、綱がつけていた簪(かんざし)を奪い空を飛びました。

 

綱がその鬼女の腕を切り落とすと、鬼は愛宕山に帰っていきました。

 

綱は安倍晴明にこのことを相談し、物忌み(一定期間ある日常行為を控えること、穢れを抑える意味がある)を勧められました。

 

鬼の腕に封印した綱は安倍晴明の助言によって、腕を取り戻しに来た鬼女から救われました。

 

 

2.僧への進言

 

滋賀県の三井寺の智興と呼ばれる人物が死にかけていました。

 

安倍晴明が「誰か身代わりになるものはいないか」と尋ねると、弟子である証空が自分の命を差し出すと申し出ました。

 

安倍晴明は泰山府君の法という、死者をよみがえらせる術をかけました。泰山府君とは、中国東部の泰山そのものの神を指します。人の生死を司り、死後の亡者をその罪に従って裁く神とされています。

 

すると、智興に生気が戻り、証空が苦しみだしました。しかし、日ごろから

熱心に不動妙を信仰していたことで助けられ、二人とも一命を取り留めました。

 

 

 

3.老僧の弟子入り

 

安倍晴明の屋敷に年老いた僧(老僧)が10歳頃の小さいな子供を連れてやってきました。

 

安倍晴明の陰陽道について習いたいという老僧でありましたが、実はこの老僧は式神(陰陽師が使う神・鬼)を使っていました。

 

安倍晴明はこれを見破り、式神を隠した。

 

老僧が「どうして人の共を隠すのか」と問うと、「私を試そうとしたからだ」と安倍晴明は老僧を諭しました。

 

老僧は「式神を隠せるとは」と驚き、感銘し、安倍晴明に弟子入りを申し出ました。

 

4.帝の頭痛

 

ある時、花山帝(花山天皇)はどんな治療をしても治らない、ひどい頭痛に悩まされていました。

 

安倍晴明公は、帝の前世は尊い行者(仏道の修行をする人)ですが、前世の髑髏(どくろ)がとある山の岩の間に挟まっている。そのせいで、今帝が頭痛に悩まされていると伝えました。

 

この髑髏を直せば頭痛が治ると言い、その通りにすると帝の頭痛が治りました。

 

5.式神と蛙

 

安倍晴明が、広沢の僧正(僧官の最上級)に参って話をしている間、とある貴族が「式神を使うのであれば、人を殺せますか」と晴明公に尋ねてきました。

 

安倍晴明は、「生かす方法を知らぬのでたやすく殺すことはできない」と答えました。

 

貴族が「蛙を殺してみよ」といい、安倍晴明が草の葉をふわっと投げると、蛙が真っ平に潰れてしまいました。

 

6.予言

 

花山院(花山天皇)は天皇の位につかれ、小野の宮の娘を女御(天皇の身の回りの世話をする女性・後宮の位の一つ)とされました。

 

しかし、少しするとこの女御が亡くなってしまい、大変帝は悲しみました。

 

花山天皇は在位後2年で出家することになりました。

 

出家したその夜、安倍晴明は帝星(北極星)に兆しを見て、帝が譲位すると声を上げました。

 

7.蘆屋道満

 

 

 

藤原道長が法隆寺を建立したその後、御堂へとお参りするとき必ず白い犬を連れていました。

 

ある日いつもどおり、門に入ろうとすると犬が門をふさぐように立ち、吠えていました。

 

車から降りて入ろうとすると、御衣の裾を咥えて引き留めました。

 

安倍晴明を呼び、占ってもらうと道に呪いのもの(呪物)が埋めてあるといいます。

 

その道を掘ってみると、素焼きの土器を二つ合わせた十文字に束ねているものが見つかりました。

 

それを調べてみると、安倍晴明のライバルとも言われる平安時代の呪術師・官人ではない陰陽師の蘆屋道満の仕業でした。

 

 

 

8.瓜の毒

 

藤原道長が物忌み(穢れを避ける行為)の時、勧修僧正・安倍晴明・医者の丹波忠明・武士の源義家の4人が仕えていた。

 

奈良から早瓜が献上されたが、その瓜を安倍晴明が占ってみるとそのうちの一つに毒があると言いました。

 

勧修が祈祷を行うと、瓜がゆらゆらと動き忠明が瓜の二か所に針を指し、毒を抜いた。

 

義家が瓜を刀で割ると、子蛇がとぐろを巻き、針が蛇の目に命中して刺さっていました。

 

9.蘆屋道満との対決

 

安倍晴明のライバルとして知られる蘆屋道満ですが、ある日、二人はどちらの法力が優れているのか勝負をしました。

 

夏みかん16個を蓋のある入れ物に入れ、中に入っているものを言い当てるというもので勝負をしました。

 

道満が夏みかんであると言い、安倍晴明は鼠16匹と言いました。

 

皆が安倍晴明が破れたと思い、蓋を開けてみると、術の力により中のみかんが鼠に変えられていました。

 

10.狐の母

 

安倍晴明は実在する人物ですが、化生の者であるという伝説があります。

 

その伝説の元となっているのが、安倍晴明の母が狐であるという伝承です。

 

信太の森(現在の大阪府和泉市)に住んでいた白い狐は、ある時、安部保名(あべのやすな)に助けられました。

 

狐は、助けってもらった彼に恩返しをするために人間の女性「葛の葉(くずのは)」に化けました。葛の葉と保名は互いに惹かれ合い、「堂子丸」という子を授かりました。

 

しかし、堂子丸が5歳になったころ、葛の葉が狐の尻尾を出しているところを見られてしまい、正体が狐であることがばれてしまいました。

 

その後、葛の葉はすべてを話し一人、狐として元の森に帰っていきました。

 

この子が、後の安倍晴明と言われています。

 

以上が、安倍晴明にまつわる有名な10の逸話です。

 

 

 

今回はここまでです!

 

安倍晴明について生涯から、逸話・伝説まで少し長くなりましたが詳しく書いてきました。

 

次回は、安倍晴明を知るうえで何度も出てくる陰陽道についてお話していこうと思うので楽しみにしていてください!

 

 

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